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【世界史】メソポタミア文明その2 民族間の興亡

このお話は「メソポタミア文明その1 都市国家から領域国家へ」の続編です。

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アッカド人の建てた領域国家が滅んで以降、いくつもの民族が豊かなメソポタミアの覇権を争った。

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前2100年頃、シュメール人が再び力を盛り返し、ウル第三王朝メソポタミアを統一した。この時の王がウル=ナンムという人物。

現存する最古の法典を作成させた王として有名である。

しかしウル=ナンムが死ぬとまもなく王国は解体し、また混乱の時代に戻ってしまった。

 

次に覇権を握った民族がアムル人。もともとはシリアあたりで遊牧民として活動していた民族である。

前1900年頃、メソポタミア都市国家バビロンを征服してバビロン第一王朝(古バビロニア王国を建国した。

この王国の最盛期は第6代王ハンムラビの時代である。前1700年頃、ついにメソポタミアの統一を達成した。

 

ハンムラビといえば、有名なハンムラビ法典を制定した王である。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/P1050763_Louvre_code_Hammurabi_face_rwk.JPG/364px-P1050763_Louvre_code_Hammurabi_face_rwk.JPG

ファイル:P1050763 Louvre code Hammurabi face rwk.JPG - Wikipedia

この脊柱の胴の部分に楔形文字で記してある。

下の資料画像は胴の部分の一部拡大図。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Hammurabi_detalle.jpg

ファイル:Hammurabi detalle.jpg - Wikipedia

しかしこの法典は完全なオリジナルではなく、先ほど紹介した「ウル=ナンム法典」や、前20世紀にシュメール人都市国家・イシン第一王朝の王リピト=イシュタルが制定した法典が下地になっている。

「目には目を歯には歯を」の文言で象徴される復讐法で有名になった。

しかしこの文言がそのままこの法典に刻まれているわけではない。実際には

  • 196、もし人が人の息子の眼を潰した時は彼の眼を潰す。
  • 197、もし人の息子の骨を折った時は彼の骨を折る。
  • 200、もし人が彼と同格の人の歯を落とした時は彼の歯を落とす。
といった文言が用いられている。しかし200条にあるように、「同格」の身分同士でなければ、加害者に対して被害者が受けたのと対等な罰を課すことはなかった。
  • 198、もし賎民の眼を潰し、または賎民の骨を折った時は、銀1マヌーを支払う。
  • 199、もし奴隷の眼を潰し、あるいは人の奴隷の骨を折った時は、その価格の半額を支払う。
  • 201、もし賎民の歯を落とした時は、銀1/3マヌーを支払う。
このように、身分が違えば刑罰も軽くなったり重くなったりしたのだ。

ちなみに「目には目を歯には歯を」という文言は、『旧約聖書 エジプト記 21章』にある文言である。

 

バビロン第一王朝がメソポタミア勢力を拡大していた頃、遠くアナトリア半島ではヒッタイトの王国が着々と版図を拡大していた。首都は、現・トルコ共和国のボアズキョイ村付近にあったハットゥシャである。

写真はハットゥシャ遺跡の南西にある「ライオンの門」。まるで日本の神社にある狛犬そのものではないか。阿吽の口はしていないが。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Lion_Gate%2C_Hattusa_01.jpg/640px-Lion_Gate%2C_Hattusa_01.jpg

File:Lion Gate, Hattusa 01.jpg - Wikimedia Commons

 

ヒッタイト王国は前1595年頃、メソポタミア地方に侵攻してバビロンを攻略、ついにバビロン第一王朝を滅ぼした。

主力軍が遠くメソポタミアへ侵攻している間に、本国で内紛が発生した。せっかくメソポタミアの支配者になるチャンスを得たヒッタイト軍だったが、この内紛の報せを受けて急きょ本国へ帰還することとなった。

だから、このときバビロン第一王朝は滅んだが、メソポタミアヒッタイトに支配されることはなかった。

 

鉄器時代の幕開け。

ヒッタイトは強大な王国である。その力の秘密の一つはインド=ヨーロッパ語族から受け継いだ戦車を用いた戦術にあった。機動力に長けた戦車部隊は絶大な破壊力を示した。

もう一つの秘密は、世界に先駆けて鉄器の量産に成功したことである。

実は前3000年頃には、すでに鉄器は使用されていた。ただし、その原料は隕鉄である。つまり、宇宙から落ちてきた金属の塊を熱し、赤いうちにハンマーでたたいて成形したのだ。

しかし原料が「流れ星」では貴重に過ぎる。

隕鉄という特殊な鉄と違い、一般的に鉄は金・銀・銅といった貴金属と違って採掘できるところが世界中にある。例えば日本でいえば、鎌倉の浜辺の砂なんか、たくさん鉄分を含んでいて黒っぽい。まさにそこらじゅうに分布しているといえる。

しかし、鉄を融解して成形するためには1400度以上の熱を必要とする。当時の技術でそれはかなり難しかったので、安定して大量生産できるようになるまでに、しばしの時間を要したのだ。

鉄の強度は青銅器よりはるかに勝る。そして貴金属である銅を原料とする青銅とは比べ物にならないほど大量に生産できる。

これほど利用価値の高い物質である。ヒッタイトはその生産法を国家機密として独占した。

 

ちなみに、青銅器の発明もアナトリア半島だとされている。シュメール人都市国家が繁栄するよりはるか前の前6000年頃のことである。

 

三国鼎立+1。

バビロン第一王朝が滅んだあと、バビロニア(ティグリス・ユーフラテス川の中・下流域)はカッシート人が支配した。カッシート人の出自はよく分かっていないらしい。アッカド人の文化を積極的に受け入れて強大化したようだ。

 

一方、上流域にはフルリ人が営むミタンニ王国が君臨していた。フルリ人も出自がよくわかっていない民族である。周辺国と政略結婚を繰り返すことで、ライバルの多いメソポタミアで生き残った。

政略結婚として有名なものに、エジプト新王国の王アメンホテプ4世(アクエンアテンとミタンニ王トゥシュラッタの娘タドゥキパとの結婚がある。

タドゥキパとアメンホテプ4世の妃ネフェルティティが同一人物だとする有力な説があるのだ。

 

そしてアナトリア半島には鉄器を独占して強大になった、古バビロニア王国を滅ぼしたヒッタイト王国が覇権を維持していた。

 

こうしてメソポタミアから小アジア(アナトリア半島)にかけて、3つの強大な国家が並び立つことになった。

いや、もう一つエジプト新王国を忘れてはならない。メソポタミアをめぐる激烈な生存競争を尻目に、ナイル川の恵みを一身に受けて独自の文明を発展させた強国である。

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前14世紀から前13世紀は、これら4つの強国が互いに複雑な利害関係をもって対立した時代だった。

 

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