前1200年のカタストロフィ。
アルファベットの発明。
東地中海沿岸のシリア・パレスティナ地方、もしくはレヴァント地方と呼ばれるこの地域は、東は「メソポタミア」、西は「地中海」、南は「エジプト」、そして北は「アナトリア半島」につながる、まさに陸海交通の要衝として軍事・経済両面で大変重要な地域だった。
それ故「旧約聖書」には「乳と蜜の流れる土地」と表現されているほどの豊かな地域である。
この地で古くから商人として活躍していたのがカナーン人だ。
前1500年頃には、カナーン人といえば「商人」とされるくらいの活発な商業活動を行っていたようだ。
当時のエジプトのエジプトでは、正式な文字であるヒエログリフ(神聖文字)を崩し、パピルスという紙のような素材に書きやすくしたヒエラティック(神官文字)が盛んに用いられていた。
ちなみにパピルスは、ナイル川に自生するパピルス草というイネ科の植物の茎をたたいて砕き、紙条に加工した製品である。
下の写真がパピルス草。
ファイル:Cyperus papirus Orto botanico di Palermo 0009.JPG - Wikipedia
パピルスはエジプトの特産品として広く地中海世界に普及していた。
ファイル:Egypt.Papyrus.01.jpg - Wikipedia
話を戻すが、カナーン人たちはこの「ヒエラティック」を参考に原シナイ文字を開発した。これが現在私たちが用いている表音文字の起源となったのだ。
表音文字とは、読んで字のごとく、「音」をあらわす文字のことである。英語でいえば「alphabet」だ。
「A、B、C」とか「あ、い、う」、「カ、キ、ク」などが表音文字。
これに対して表意文字といえば、文字そのものが意味を持っているものを指す。
現代まで残っている表意文字は、中国で発明された漢字だけである。
前1200年のカタストロフィ。
レヴァント地方は南からエジプト新王国が介入し、北からはヒッタイト王国が介入する、両国の係争地でもあった。
しかし前1200年頃、地中海方面から正体不明の海賊集団海の民が現れてレヴァント地方を襲撃した。
この襲撃でエジプト新王国やアッシリア、バビロニアといった当時強勢を誇った王国が
みな衰退してしまった。そしてあろうことか、ヒッタイト王国は滅亡してしまったのだ。
まさにオリエント一帯の勢力図を書き換えてしまうほどの衝撃的な事件だったので、これを前1200年のカタストロフィ(破滅)と呼んでいる。
製鉄技術の流出、フェニキア人とアラム人。
ヒッタイトの滅亡によって、それまで「国家機密」とされてきた製鉄技術が流出し、世界は本格的な鉄器時代を迎えることとなる。
そしてこの後、権力の空白地帯となったレヴァント地方では、3つの民族が生き生きと活躍しはじめるのだ。
フェニキア人。
シリア沿岸部で生活していたカナーン人の一派フェニキア人は、シドン、ティルス、ビブロスなどの海港都市(エンポリウム)を拠点に地中海貿易で大活躍した。
ちなみに先ほど紹介した「パピルス」だが、プトレマイオス朝時代、フェニキア人はこれをエジプトで買い入れたのち、ビブロスからギリシア方面へ輸出した。だからこの紙のような製品は「ビブロス」と呼ばれるようになり、それがなまって「パピルス」となったのだ。
また「紙」は英語で「paper」だが、これも由来は「パピルス」である。
ちなみのちなみ、「聖書」は英語で「bible」だが、これの語源も「ビブロス」である。ギリシア人たちはパピルスを束ねて作られた「本」を「ビブリオン」と呼んだ。これが転じて「バイブル」となったのだ。
話を戻そう。
フェニキア人たちは地中海世界全域を商業圏として活躍した。彼らの都市国家は強固な城壁で囲まれているので、人口が増えても都市を拡張するのが難しい。
だから人口がある程度増えると、まるで蜂の分蜂のようにまとまって生まれた町から旅立っていく。そして遠く離れた各地に数多くの植民市を建設した。
とくに有名な植民市としてカルタゴがあげられる。カルタゴはティルスの植民市である。
カルタゴはのちに、イタリア半島を統一したローマと地中海の覇権をかけて壮絶な戦いを演じることになる。
フェニキア人の航海術はとても優れていた。それを示すエピソードがある。
前600年頃、エジプト王ネコ2世の要請をうけ、3年かけてアフリカ大陸を一周してきたというのだ。彼らの証言によると、アフリカを南下していくと、いつの間にか太陽がずっと北に出ていたという。彼らが「南半球」にいたという動かぬ証拠である。
この逸話は古代ギリシアの歴史家ヘロドトス著『歴史』に載っている。
フェニキア人はカナーン人が使用していた「原シナイ文字」を改良してフェニキア文字を作った。これがギリシアに伝わり、現代の世界で広く用いられている、いわゆるアルファベットの元となるのだ。
アラム人。
史上初めて「ラクダ商隊」を結成し、乾燥地帯を縦横無尽に駆け抜けたアラム人は、前1200年頃からダマスクスなどの都市国家を中心に、陸上貿易で大活躍した。
アラム人は精力的に商業圏を拡大したので、アラム語が「国際商業語」となり、以後2000年近く、オリエント世界の共通語として使われるほど定着した。
また彼らは「フェニキア文字」をもとにアラム文字を開発した。以前から使用されていた「楔形文字」より「表音文字」のアラム文字の方が覚えやすかったこともあり、急速に普及していった。
その後「アラム文字」は、現在も使用されている様々な文字の元となるのだ。
まずはアラル海へ注ぐ2つの大河アム川とシル川に挟まれたソグディアナ地方を原住地とするソグド人がアラム文字を学び、これを改良してソグド文字を開発した。
ソグド人商人は中央アジアの広範囲で商業活動を活発に行ったので、ソグド文字は多くの民族に利用されるようになった。
そして各民族は独自に文字を改良したのだ。
この地図ではフェニキア文字からの派生だけでなく、漢字の派生文字も併せて載せておいた。
こうしてみると、漢字起源のいくつかを除けば、アジアの文字の大半が、元をたどればアラム文字に行きつくことがわかるだろう。
あと1つの民族が残されているが、これについては「東地中海世界の諸民族その2」で解説したい。