このお話は「東地中海世界の諸民族その1」の続編です。
ヘブライ人。
もともと遊牧民だったヘブライ人は、前1500年頃「パレスティナ」と「エジプト」に分かれて定住するようになった。
エジプトに定住していたほうは、一説には中王国時代に侵入したヒクソスとともにエジプトへやってきたという。
その後新王国時代になってヒクソスが追い出されると、ヘブライ人はエジプト人の奴隷として、長く苦しい生活に耐えることとなった。
そんな苦しい立場にありながらも、ヘブライ人たちは徐々にその数を増やしていった。
前13世紀のことである。ファラオラムセス2世はヘブライ人の男の子を全部殺すよう命じた。
しかし一人の助産婦が哀れに思い、男の赤ん坊をかごに入れてナイル川に流した。
かごは無事下流に岸辺に流れ着いた。下流ではちょうどファラオの娘が水浴びをしており、目の前を流れていく赤ん坊を拾い上げた。
この赤ん坊こそがモーセその人である。
その後、モーセは王宮で生活することになったが、彼の乳母として雇われたのが、なんと実の母親だったのだ。
モーセ、指名手配犯となる。
モーセは最高の教育を受け、たくましく成長した。
そして40歳になった時、自分の同胞が奴隷としてひどい扱いを受けているのを見て怒り、同法を暴行しているエジプト人を殺してしまった。
これが原因で、モーセはヘブライ人たちを連れてエジプトから脱出することになるのだ。いわゆる出エジプトである。
逃げるヘブライ人たちを、エジプトの兵隊たちが海辺へと追い詰める。するとモーセが神に祈ると、目の前の海が真っ二つに割れて、道ができた。
急いで「海の道」を渡り切ると、後から追ってきたエジプトの兵隊たちが道を走ってくる。モーセが再び神に祈ると、道は海へと戻ってしまった。兵隊たちは、一人残らず海に飲み込まれていった。
一神教の成立。
この後、ヘブライ人たちは、神が彼らのために用意したという約束の地カナンにたどり着くまで、40年も放浪したという。
その放浪の間に立ち寄ったシナイ山で、モーセは神から十戒を授かった。神が定めた10の掟である。
以下、モーセの十戒 - Wikipediaより引用。
- わたしのほかに神があってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の妻を欲してはならない。
- 隣人の財産を欲してはならない。
引用終わり。
そしてモーセは神と契約を交わした。ヘブライ人たちは他の神をすべて否定し、十戒を授けた神だけを唯一のものとする。
その代わり、神はヘブライ人たちを神に選ばれた特別な民族とした。
ヨーロッパの人々に深く根差す「契約精神」。
これは、神とヘブライ人の間に結ばれた双務的契約である。
その精神はキリスト教に受け継がれ、キリスト教が深く浸透したヨーロッパ社会の根底に刻まれた。
例えば彼らがどこかの会社に雇われたとしても、日本人のようにサービス残業なんかまずしない。契約通りの条件のもとに、決められた時間内で働く。決められた報酬以上の仕事なんかするはずもない。
そういった意味、日本人にはとてもドライに感じるかもしれないが、逆にヨーロッパの人々から見れば、たかが人間である雇用主のために滅私奉公なんかしてしまう日本人が異常に見えるのだろう。
日本人は当たり前のようにサービス残業してしまうが、そんな思想の根底には儒教が深く根差しているのだと思う。
この辺の話を進めると、今回のテーから大きく外れてしまうので、いつか特集を組んで論じてみたい。
神の本当の名は?
話をヘブライ人に戻すが、「十戒」の第2条には「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」とあったので、誰も神の名を呼ばなくなった。
代わりに「神」を意味するヤハウェと呼んでいたのだが、何百年もたつうちに、いつのまにか神の本当の名前が忘れ去られてしまった。
誰もが知っている、この世で最も有名な存在なのに、もはや誰も名前を知らないのだ。
ちなみにイスラームでは神をアッラーというが、これも単に「神」と呼んでいるに過ぎない。
約束の地カナン
モーセ一行は、神の嫌がらせによって40年もシナイ半島をさまよわされた挙句、やっと同胞の待つ「約束の地」へとたどり着いた。現在、パレスティナと呼ばれている地域である。
しかし、モーセ自身は「約束の地」に入ることはかなわず、目前で死を迎えた。享年120歳。
そもそもヘブライ人たちが40年もさまよわなければならなかったのは、彼らが神やモーセの言葉を信じず、不平不満ばかりを口にしていたからだ。それで神が怒り、文句ばかり言う輩が全部死ぬまで荒野をさまよわせることにしたのだという。
そしてモーセ自身も、一度だけ神の言いつけに背いた。その罰として、「約束の地」を目前にしながら息絶えなければならなかったのだ。
いくらなんでも厳しくないか、神様。
次回は、ついにヘブライ人たちが王国を建設する。その栄光と苦難について解説してみたい。