今回は政治思想についての記事です。誤解を恐れず、思うことを書いてみました。あしからず。
日曜日の遅い朝の光景。
9時半ごろ、明らかな低血糖状態を自覚し、慌てて起きて血糖値を測ってみた。
その結果は70。確かにちょっと低すぎる。
ちなみに、血糖値が80を下回ると「低血糖状態」とされる。個人差はあるだろうが、腕や脚の筋肉がこわ張ったり、動悸が激しくなったり、冷や汗かいたりと、慣れないうちは結構不安になるような症状が多発する。
そしてひどい場合は、意識を失うことも。
昨夜も0時過ぎから晩飯をいただいたが、メニューがローストビーフとか枝豆とか、たんぱく質が豊富なものに偏っていたようだ。
しっかりインスリン注射も打っているので、ある程度炭水化物も摂取しないと、飯食っている最中でも低血糖状態になることがある。
今回は、それが一夜明けて発症したということだ。
朝、何か食う前に歯を磨かないと気が済まない。
というわけで、低血糖状態と戦いながらも歯を磨くことにした。
こんな経験、今まで何度もしている。今のところ意識が飛びそうなほどでもないので、落ち着いていつも通り、朝の歯磨きから一日を進めることにした。
そしてこれまたいつも通り、「多動」の俺は洗面所にとどまったまま歯を磨くことができず、いつも家の中をうろうろしながら歯磨きしている。
テレビをつけると、ちょうどTBSのサンデーモーニングが放映されていた。
「105歳の死」のはずが。
ネットで検索していただければすぐわかるだろうが、毎回あまりに露骨な反日偏向報道を繰り返す番組として有名である。
観るたびにうんざりしながら、テレビ画面に向かって「いいかげんにしろ」と怒鳴っている。
とはいえ、テレビをつけた時に流れていた内容は、去る7月18日、聖路加国際病院名誉院長の日比野重明氏が亡くなったという報道である。享年105歳。
最後まで現役バリバリだったというから、これはもう大往生だろう。
先週火曜日のことなので、亡くなったことはすでに知っていた。
ちなみにこの番組は、先週1週間に起きた様々な出来事を(TBSが報道したい出来事だけを)まとめて報道する番組である。
8時から9時54分までの2時間枠で、残り20分ほどの最後のコーナーである。番組側も、視聴者に大きな印象を持たせながら終わりたいところだろう。
105歳まで現役で働けるそのバイタリティは尊敬に値する。このニュースを最後に持ってきたのは、確かに良い選択だと思った。
故人にはまったく面識などないが、改めてご冥福を祈らせていただきます。
とはいえ、有名ではあるがまったく他人の死。特段の感情移入もなく、洗面所に戻って口をゆすいだ。
居間に戻ってくると、テレビでは「反戦」関連の映像が流れていた。もう「105歳の死」は終わって、いつも通りのサンデーモーニング色を垂れ流しているんだなとあきれていた。
国会前でスピーカー掲げて大声出しながらラップを楽しむ少数の若者と、その後方でいかつい顔して「安倍はやめろ」などと書かれたプラカードを掲げるご年配の方々。
先日可決した「テロ等特措法」の時の反対デモだろうか。この番組が事あるごとにさしはさんでくる大好物の映像である。
すると映像が切り替わり、また先の日比野氏が映された。「おや、まだ『105歳の死』の途中だったのか。なんで『反戦モード』なんだ」といぶかしんでいたら、どうやら日比野氏が、生前はいわゆる「護憲派」で、その主張が何度もテレビで報道されていたということらしい。
洗った顔を拭きながらテレビを観ているのだが、タオルを洗濯機に放り込んで居間に戻ってくると、今度は日比野氏が「アメリカと一緒にどこか外国へ行って戦争できるような憲法は、本当の日本の憲法じゃない」といった趣旨の発言をしていた。
要するに、現在の安倍政権が何としてでも実現させようとしている「憲法改正」を頭から批判しているのだ。
毎日新聞系列があらゆる手を使って世論を「反安倍」に持っていきたいその方向性と、ぴったり一致している。
洗面所と居間を行ったり来たりしながら観ているので、場面がぽこぽこ飛んでいるし、発言を最初から最後まで通して聴いているわけではないので、ひょっとしたら俺の認識に大きな誤解があるかもしれない。
とはいえ、多くの断片から大まかな内容は推し量ることができる。
「生き地獄」について。
やっと「低血糖対策」。チョコレートプリンをむさぼる。そしてあんこのたっぷり詰まったまんじゅうを2個。
むしろ食いすぎである。とはいえ、血糖値は速攻で上がってくれるわけではない。いましばらくは体中を襲う違和感と戦わなければならない。
戦いながらテレビを観ていると、場面は次のシーンへ。
終戦直後、すでに医師として働いていた日比野氏の思い出話になっていた。
火傷や怪我をした大量の人々が治療を求めてやってくるが、薬がないので治療できない。
だからみんな目の前で死んでいく。
なんとか治療できないものかと、新聞紙を燃やした灰を傷口に塗ったという。灰に傷をふさぐような何か効果があるんだろうか。観てなかったときにその辺の話もあったかもしれない。
日比野氏曰く、それはまさに生き地獄だった。
戦争の悲惨さについては、子供のころから親父に聞かされていた。
1945年3月10日の夜10時ごろ、いわゆる東京大空襲が行われた。当時5歳だった親父は錦糸町の楽天地あたりに住んでいたので、もろに頭から焼夷弾を浴びせかけられたのだ。
空襲警報が鳴り響き、びっくりして飛び起きた。そして両親とともに防空壕へと避難した。
現在のJR錦糸町駅の駅前広場は、当時はまさに「防空壕団地」で、いくつもの穴が掘られ、穴の入り口は畳やら戸板で塞がれていた。
親父一家は目の前のまだ空きのある防空壕へ一目散に逃げ込んだ。するとまもなく、ひゅるるるという音とともに、そこらじゅうで爆音が鳴り響いた。
頭を抱え込み、ガタガタと死の恐怖に打ち震える5歳児。いつの間にか気を失うように眠っていたらしい。
明け方目覚めると、すでに爆音はやんでいた。
恐る恐る外へ出てみると、親父たちが入っていた防空壕以外、ほとんどの穴が焼夷弾の直撃を受けていて、中では近所に住んでいた方々が蒸し焼きになっていたという。
この空襲で、親父の代の従兄妹たちは、あらかた死んでしまった。
だから我が一族は親戚が少ない。これも戦争被害の一つといえよう。
それでも「赦せ」というのか。
そんな「生き地獄」を体験した日比野氏である。何としてでもこのような愚かで悲惨な戦争など、二度と引き起こしてはならないという思想を持つのも道理である。
なぜか親父はその逆の思想を育んでいたが。
日比野氏は、たびたび講演会を開いて戦争の悲惨さを訴えてきたという。
彼は子供たちの前に立ち訴える。
「戦争とは、『やられたからやりかえす』その繰り返しだ。武力でやられたから武力でやり返す。世界中で、今もそのように戦争が繰り返されている。だからいつまでも不幸が終わらない。
戦争を終わらせるためには赦しが必要だ。悔しいけど、相手を赦して自分たちのところで終わらせなければならない。
みなさんには、どうか『赦す』という気持ちを持ってほしい。」
このような趣旨だったと思う。
これを聴いて瞬時に思ったのは、もし自分の目の前で、息子とかおふくろとか友人とか愛する誰かが、敵につかまって面白半分に嬲り殺されるのを見せつけられて、それでも敵を「赦す」ことができる人間がこの世にどれだけいるだろうか、という疑問だ。
日比野氏は子供たちに「それでも敵を赦せ」と教えているのだ。
イエス様やお釈迦様でもあるまいに、一般人の一般的な感覚から言えば、どのような手段を用いても、その敵に対して死より惨い償いを受けさせようと思うだろう。
もしくは完全に人格が崩壊し、泣き崩れながら敵に命乞いし、喜んで敵の奴隷になってしまうかもしれない。
どちらにしろ、間違っても「赦し」などという感情は湧き上がってこないと、俺は確信する。
戦争被害か激甚災害か。
日比野氏は「生き地獄」を身をもって体験した人物である。その人物からこのような言葉が発せられている。
不謹慎ながら、そこにとても興味を抱いてしまった。
すなわち、どうすれば「生き地獄を赦せる心境」を抱けるのか。
大東亜戦争中、アメリカ軍が地上戦を繰り広げたのは沖縄だけである。
本土も都市を中心に爆撃を受けたが、それははるか上空から爆弾の雨を降らせただけで、兵隊が直接都市を破壊したわけではない。
5歳の親父が殺されかけた「東京大空襲」もしかり。
一般人だけで80万人も殺害されたのに、地上戦でアメリカ兵に直接的に殺害されたのは沖縄の方だけ。それでもその数は約9万4000人と大変な数ではあるが。
参考文献:http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/index.html
そこで思うのだが、ひょっとしたら沖縄の方を除く当時の多くの日本人は、戦争被害を大地震とか火山噴火とか、いわゆる「天変地異」のような、抗うことのできない自然災害のようなものとして受け入れてしまったのではないだろうか。
敵ははるか天の高いところにいて姿は見えず、ただ雨のように焼夷弾だけが降ってくる。
まるで集中豪雨で崩れた山肌が、容赦なく麓の集落を飲み込むように、なすすべなく住む町を灰に変えていく。
歴史に「もしも」はないが、もしもアメリカ軍が日本本土に上陸して地上戦を敢行したら、日本人がアメリカ人に殺される場面を、目の前で否応なく見せつけられただろう。
まさしく沖縄の方々がされたように、爆弾を投げつけられ、火炎放射器で燃やされるのだ。
それでも日比野氏は、アメリカ人を「赦せ」という発想になっただろうか。
終戦を迎えアメリカ軍が進駐し、日本がアメリカに支配されても、大半の日本人はそれを受け入れ、アメリカ文化を憧れとして追い求めていった。
英語が喋れるとかっこいいと憧れ、アメリカ人の異性を見ては、あんな恋人がほしいと憧れる。
そしていつの間にか、みんなハンバーガー大好きになってしまった。食生活までアメリカの真似をするようになったのだ。
相手は女子供問わず、非戦闘員の日本人を無差別に80万人も殺害した敵である。
敵だったはずなのに、戦争が終わった途端、まるで激甚災害に見舞われた日本を、「トモダチ」のアメリカが支援して救ってくれたかのような印象すら受けてしまう受け入れよう。
そういえば「東京大空襲で死んだ」とは聞くが「東京大空襲で殺された」とはまず聞かない。
本来なら「東京大空襲」ではなく「東京大虐殺」と表現するべきではないのか。
やはり、日本人の大半が、先の戦争被害を「自然災害」の一環のようにとらえているのだと思えてならない。
そこまで頑なに「偏向報道」な理由が知りたい。
本当に毎週「反戦」をテーマにしたコーナーを差しはさんでくるサンデーモーニング。
もちろん俺も戦争などまっぴらごめんだ。かといって、俺の愛する人々が無慈悲に殺されるところを黙ってみていられるほどお人よしでもない。ましてや敵を「赦す」なんてできるはずもない。
「反戦アピール」大いに結構であるが、「105歳の死」まで利用するのは、いくら何でもやりすぎだと思う。
旧・民主党が政権の座を追われ、自民党が単独過半数を得る現在の安倍政権になって以降、サンデーモーニングは一貫して政権の批判ばかり繰り返してきた。
テレビは新聞と違い、意識して読もうとしなくても、勝手に音が耳に届いてしまうし、映像が目に飛び込んできてしまう。
もちろん、気に入らなければチャンネルを変えるなり、電源を切ってしまえばいいだけの話かもしれないが、多くの、政治にあまり興味のない方々からすれば、茶の間で適当につけているテレビが勝手に偏った報道をしていたとしても「へえ、そうなんだ」くらいの印象で、何の疑いも持たずにその報道を受け入れてしまうだろう。
しかも毎週「反安倍」という印象操作を繰り返せば、みなさんまんまと「安倍政権は独裁政権だ」という彼らの思想に洗脳されてしまうのだ。
マスメディア、特にテレビは、その影響の大きさから常に公平な報道を心掛けなければならない。しかし現在、「公平な報道」を心掛けているメディアがどれくらいあるだろうか。
以前から、「偏向報道」に関しては一度文章にしてみたいと思っていたので、そういった意味で、今回の「105歳の死」は一つの大きな勇気を与えてくださったと思う。
改めてご冥福をお祈りいたしますとともに、心より感謝申し上げます。