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【終戦記念日】8月15日は英霊に叱られる日。

英霊に頭を下げに行く「あたりまえ」。

珍しく雨。

もう10年ほど、毎年8月15日には靖国神社を参拝している。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/Yasukuni_Jinja.JPG/640px-Yasukuni_Jinja.JPG

File:Yasukuni Jinja.JPG - Wikimedia Commons

今年は珍しく雨となった。しかもかなり激しい雨。これまで参拝中に雨が降っていた記憶はない。

記憶がなかったので、改めて調べてみた。8月15日は「晴れの特異日」なのではないかと。

weather.goo.ne.jp

ネットとは恐ろしいツールである。こんなことまで統計データとして公表されているのだ。

結論として、東京の8月15日は、晴れと曇りの日を合わせると83.3%の出現率。やはり圧倒的に雨の日が少ないのだ。

とはいえ、これでは「晴れの特異日」というには物足りないようだ。

 

この日の参拝客は毎年とても多いので、参拝待ちの列が本殿から長く伸びる。

炎天下、汗を垂らしてじっと耐えながら待つのが通例だが、今年は参拝客も少なく、傘を差しての行列待ちだった。

なんとも、終戦記念日の参拝らしくない感じ。

じりじりと照り付ける真夏の太陽を一身に浴び、南洋諸島で散った兵隊さんたちの気持ちはどんなだっただろう、なんて少しでもそのお気持ちを理解しようと試みるのだが、今年は過ごしやすい気候になってしまい、なんだか申し訳ない気持ちで行列に並んでいた。

 

全ての戦争は正義である。

終戦」には真摯に向き合い、改めて自己の反省を含めて頭を下げに行く必要があると感じている。

これでも一応、社会科の教員なので「みなさんの尊い犠牲を無駄にせず、世界に胸を張って堂々生きられる日本人を育てることに尽力します。」そんな誓いを、毎年宣言しに行くのである。

 

良いことも悪いことも、すべてひっくるめて歴史である。その歴史があって、はじめて現在がある。これはデジタルにぶった切ることのできない、永遠に連綿とつながり続ける一本の道である。

先の戦争がどのような経緯で行われたか、そしてどのような末路をたどったか。俺自身はそれを教える立場なので、それなりに勉強して理解したつもりだ。

国家の中枢が決定した究極の選択。それがどんな方向であろうと、国が決定したことに、国民は従わなければならない。

とはいえ、先の戦争を決行せよと急かしたのは、ほかならぬ国民自身である。1940年、東條英機首相のもとには「早く戦争やれ」「いくじなしはやめろ」という趣旨の手紙が5000通以上も届いていたという。

そんな国民世論に背中を押されたこともあり、時の内閣はアメリカとの戦争を選んだ。

 

奥さんや子供、家族を残して戦地に旅立たなければならなくなった方々の心境はいかばかりだったか。平和にどっぷりつかっている俺がどうこう言うのはおこがましいと分かっているが、「心中推して知るべし」といったところだろう。

日本という国家の存亡のため、愛する家族の幸福のため、そして未来を担うであろう子孫のために、彼らは否応なく自らの命を捧げなけれなならなかった。

 

誤解を恐れずに断言するが、全ての戦争は正義である。国家が多数の自国民の命を犠牲にする覚悟で行うのが戦争である。

だからこそ、命の犠牲に見合う大義名分がなければならない。

例えば1931年に勃発した満州事変には少なくとも3つの「正義」があった。

一つは、1920年代を通して日本を襲い続けた数々の「恐慌」で、壊滅的被害を受けていた農村部の人々を救済するための移民先を確保するため。

一つは、すでに中国大陸に進出していた「在華紡」などを経営する日本人たちの安全確保。当時、中国では「反日運動」が激化し、日本人の生命・財産の安全が大いに脅かされていた。

一つは、近い未来に勃発するであろう「ソ連」との決戦に備えるため。

関東軍の参謀・石原莞爾は、この3つの大問題を一気に解決する「最善の策」として満州事変を引き起こしたのだ。

当時の満州(中国東北地方)にはまともな統治者がおらず、馬賊や匪賊が跋扈する混沌とした地域だった。だから関東軍がこの地を制圧し安定した政権が出来上がると、そこに住んでいた中国人や満州人、朝鮮人、モンゴル人など一般の方々は大いに歓迎した。

満州事変は「侵略行為」かもしれない。しかしながら、それを実行するに足る「正義」も、確かにそこにあったのだ。

 

大東亜戦争も然り。

開戦を決意した理由だけを取り上げるなら、それはずばり石油の確保に他ならない。

当時、日本は石油の80%以上をアメリカから輸入していたのだが、「日中戦争」で日本の侵略行為を非難するアメリカは、中国の蔣介石政権を公然と支援して日本と対立するようになった。

アメリカは広大な中国大陸への経済的進出を企んでいたのに、日本に先を越されて頭に来ていたのだ。

そこでアメリカは、日本への石油輸出を全面的に禁止した。きっかけは「日独伊三国同盟締結」と日本軍の「南部仏印進駐」。

日本は近場で石油の採れる蘭領東インド(現・インドネシア)を中心に、アフガニスタンやブラジルなどとも交渉して石油を確保しようとするが、ことごとくアメリカが相手国に圧力をかけて交渉を決裂させていった。

挙句にアメリカは「石油がほしいなら、日独伊三国同盟を破棄しろ。中国大陸から全面撤退しろ。満州国を解散しろ。この3つの実行が最低条件だ。」と突き付けてきた。

いわゆるハル=ノートである。

これまでどれだけの犠牲を払って大陸の利権を確保してきたか。こんな要求を日本が認めるなんて、当のアメリカすら思っていなかった。つまり、「ハル=ノート」を突き付ければ、間違いなく日本が戦争を仕掛けてくると確信していたのだ。

アメリカの思惑通り、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告した。1941年12月8日のことである。

大東亜戦争における日本の「正義」は、国家の存亡を左右する「石油の確保」にあったのだ。

 

日本を貶めることしか考えない「日本人まがい」。

 残念ながら、日本は完膚なきまでに敗北した。そして戦後、GHQの主導で戦前戦中に戦争を肯定していた人々が「公職追放」に追い込まれた。

その代わり、「人権指令」によってこれまで非合法とされていた共産党員が刑務所から出てきて、「思想信条の自由」を盾に教育業界に大挙送り込まれた。

そして先の大戦を引き起こした日本がいかに悪辣な国であったのかが、子供たちの脳に刷り込まれた。

いわゆるWar Guilt Information Programである。

かくいう俺自身、大学を卒業するまで「大日本帝国の悪」を信じ切っていた。出身大学が極左暴力集団の巣窟だったこともあり、講義も「共産主義万歳」が多かった。

しかし、卒業して高校で教鞭をとるようになって何年かした頃、何かをきっかけにその「おかしさ」に気が付き、自分なりに本を読み漁って勉強するようになった。

そしてやっと目が覚めた。俺は騙されていたと。

 

マスコミも、「日教組」を中心とした教育業界も、あろうことか多くの国会議員までが、反日キャンペーンを繰り広げている。

しかし最近はネットの普及でどんな情報も簡単に入手できるようになった。もう誰でもマスコミなんか嘘ばっかじゃんという事実を学べるようになった。

加えて、国会の場で安倍首相自らがマスコミの印象操作に言及するようになった。

 

靖国神社への公式参拝が非難されるようになったのも、朝日新聞の報道がきっかけである。

1985年、中曽根康弘首相が8月15日の靖国神社公式参拝に関し、加藤千洋という朝日新聞の記者が「戦前回帰」「軍国主義復活」などと大げさに書き叩いた。

加えて「中国は厳しい視線で凝視している」と書いたうえで、しつこく中国の高官に「靖国神社公式参拝に対してどんな考えを持っているか。」と質問を繰り返した。

最初のうちは「特に何もないよ。」くらいの答えしか返ってこなかったが、同じ質問を繰り返すうち、中国側もこれは「外交カード」に使えるかもしれないと思い始める。

加えて社会党(現・社民党)の議員が集団で北京に赴き「中曽根内閣が軍事大国を目指す危険な動きを強めている」などとご注進。

その結果、晴れて靖国神社公式参拝外交問題となったのだ。

参考文献:靖国参拝問題

 

お国のために、家族のために、そして未来の僕らのために自らの命を犠牲にしてくださった兵隊さん。

世界中どこの国にも膨大な数いらっしゃる。

そしてどこの国も、そのような尊い犠牲に対して国を挙げて感謝の意をささげて弔う儀式を行っている。

これは俺の勉強不足なのだが、もし公式に戦没者を弔う儀式を「しない」国があったら、どなたか教えてください。

世界広しといえども、政府が公式に戦没者を弔おうとすると、そんなあたりまえのことをしようとすると、国の内外(中国と南北朝鮮だけだが)から非難される国って、日本以外にないのだ。

これを異常と言わずしてなんと表現するべきか。

 

今年も叱られてきました。

一部マスコミや国会議員が理不尽に避難しようとも、俺は俺の自由意思で英霊に頭を下げに行く

靖国のすぐ近くに「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」がある。大東亜戦争中に国外で亡くなられた日本人で、身元不明や引き取り手のない遺骨を弔う施設である。天皇陛下や総理大臣はそちらで慰霊の意をささげる。

特に首相が靖国に参拝すると、ここぞとばかりにマスコミが叩いて炎上させるからだ。

 

しかし俺は靖国神社に参拝する。英霊たちは戦友に「靖国で待っている」と言って散っていったからだ。

というわけで、ここ10年ばかりだが、毎年8月15日には靖国神社に詣でて頭を下げてくる。

冒頭で「胸を張って堂々」とか言ってはみたが、俺本人は内心、かなりびくびくしながら参拝しているのも事実だ。

 

まだ学生時代、靖国神社のすぐ近くにある、とある女子大の文化祭に、ナンパ目的で遊びに行ったことがある。

その前に、ナンパ成功を祈念して靖国神社でお祈りしていこうということになった。

広い参道を歩いて本殿に向かっていくと、右手の方から大きなハトが一羽飛んできて、俺の頭をかすめていった。その瞬間、翼で思いっきり頭をひっぱたいていったのだ。

およそ半世紀生きてきたが、ハトにひっぱたかれたのはそれが最初で最後である。

その時の動揺たるや。これはきっと神様がお怒りになられているに違いないと確信した次第である。

とはいえ、ここまで来て当初の目的を達成しないのも男が廃る。意を決して女子大に赴いた。

しかし神様のお怒りのせいか、野望は無残に潰え去った。

 

それ以来、靖国神社に行くときは内心びくびくしている。

それが最近は、むしろだらしのない自分を英霊に叱ってもらいたいと思うようになってきた。

行くたびに思う。いつまでたっても、うだつの上がらない俺。くだらないことでいつまでもウジウジと、ああでもないこうでもないと落ちこみ悩む。どうしたらもっとしゃきっと胸を張って生きられるだろう。

 

そんなこと、本当は自分自身どうすべきかわかっているのだ。しかしあえて、これはたぶん甘えなのだ、英霊に、あのナンパした日のように、ガツンとお叱りを受けたいのである。

残念ながら、「ハトの平手打ち」はいただけないまま今日まで来ている。

その代わり、行くたびにおみくじを引いてお伺いを立てるようにしている。

今回はだった。

ちなみに靖国神社のおみくじに「凶」はない。

良い方から大吉>中吉>小吉>吉>末吉と並んでいる。

だから「末吉」が一般でいう「凶」に当たる。つまり「吉」は下から2番目。

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だそうで。

そして裏側。

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俺としては、こちらのお説教のほうが深く胸に沁みる。

ご先祖様が未来の僕らに託したものを、今僕らは当たり前のように利用している。

同じように、僕らは未来の子孫のために何かを遺していくのだ。

今僕らが平和に過ごせるのは、過去に生きた人々の賜物である。そして今あるこの平和を未来につなぐため、僕らはかくあるべく生きていくのだ。

そんな当たり前のことを改めて気づかせてくれる場所、それが俺にとっての靖国神社なのである。

 


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