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【世界史】古代ギリシア文明 エーゲ文明

クレタ文明。

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ちょうどメソポタミアでアムル人が勢力を拡大しはじめ、エジプトではテーベの豪族がエジプトを再統一して中王国時代が始まった前2000年頃、エーゲ海周辺でも独自の文明が花を咲かせていた。

その名もエーゲ文明

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明るく平和な海洋文明。

まずはエーゲ海の入り口をふさぐように位置するクレタ島で、いくつかの都市国家を統一したクノッソスという都市国家が出現した。

このクノッソスを中心に栄えたのがクレタ文明である。エジプト文明の影響を強く受けて発展した。

クレタ文明は、伝説の王ミノスからとってノア文明とも呼ばれている。

 

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 ファイル:Knossos Minos's Palace.jpg - Wikipedia

 写真はクレタ文明の中心地、クノッソス宮殿遺跡。

丘の斜面に建てられた上に、何度も増築を繰り返したため、まるで迷宮のように複雑な構造をしている。

 

遺跡からは海の生き物を活き活きと描いたつぼや壁画が多数出土している。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/AMI_-_Oktopusvase.jpg/360px-AMI_-_Oktopusvase.jpg

 ファイル:AMI - Oktopusvase.jpg - Wikipedia 

かわいらしい目をしたタコがクネクネと踊っている。

 

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File:Crete knossos dolphins.jpg - Wikimedia Commons

こちらはイルカなどが描かれた壁。パステルな色調がとてもかわいらしい。

 

クレタ文明は全体的にとても明るい印象がある。陽気な海の男たちが作り上げた、陽気な文明なのだ。

また、彼らの遺跡には城壁がない。武器は出土するが、どれもとても貧弱なものばかり。

おそらく、クレタの人たちは巧みな航海術を用いて周辺地域と活発に交易していた、きわめて平和的な商業国家だったのだ。

 

牛に関する神話。

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ファイル:Knossos - 06.jpg - Wikipedia

この絵は牛飛びという一種のスポーツを描いたものである。クレタ文明では、牛に特別な意味を与えていたようだ。

というわけで、クノッソス宮殿は牛に関するある神話の舞台としても登場する。

 

クノッソス宮殿の主は伝説の王ミノス

ある日、王は海神ポセイドンにクレタ島の王様になれるようお願いした。神はその願いを聞き入れる代わりに、美しい白い牡牛を生贄にささげるよう命じた。
先に契約を実行したのはポセイドン。ミノスを王様にしてあげた。

今度はミノスが約束を守る番だったのだが、生贄にするはずの牡牛があまりに美しかったので、代わりに普通の牡牛を生贄に捧げてしまった。
とはいえ、そんなことポセイドンはお見通し。約束を破った仕返しに、ミノスの妻パシパエが牡牛に恋をしてしまうという呪いをかけた。

呪いは成就し、パシパエは牡牛と交わった。その結果としてパシパエは子ども産むのだが、生まれた子は、顔は牛で体は人間という怪物だったのだ。
この怪物、ミノスの牛という意味のミノタウロスと呼ばれている。

ミノタウロスは成長すると、誰の手にも負えない程の暴れん坊になった。困ったミノス王は、入ったら二度と出てこれないという巨大な迷宮を造らせ、中にミノタウロスを閉じ込めてしまった。

迷宮の名はラビリントス。英語の「labyrinthの語源である。

そして彼の食事として、アテネから9年ごとに少年少女を7人ずつ送るよう命じるのである。
そこに登場するのが、英雄テセウス。3度目の生贄を送るとき、彼もその中に潜入した。そして迷宮に入ろうとしたところで、ミノス王の娘アリアドネに出会うのだが、若い二人は一瞬で恋に落ちてしまう。
アリアドネは迷宮に入ろうとするテセウスに糸玉を渡した。この糸を解きながら入っていけば、これを目印に、迷宮から抜け出せるはず。

果たしてテセウスは見事ミノタウロスを打ち倒し、脱出にも成功するのだった。

めでたしめでたし。

 

 神話の根拠。

 ミノタウロス伝説のもとになったかもしれない遺物が、クレタ島で発掘されている。

それはオーロックスという肩までの高さが1.8メートルもある巨大な野生牛の骨である。

オーロックスはすでに絶滅している。かつては広くヨーロッパに分布していたが、狩りつくされて、1627年に最後の一頭がポーランドで死んで絶滅した。

また一般的な家畜の牛の骨も発掘されている。

そして興味深いのが、オーロックスと家畜牛の中間くらいの大きさの骨も発掘されている事だ。

つまり、クレタ島ではおとなしい家畜の牛と、暴れてしょうがないオーロックスとをかけあわせ、「あいのこ」をつくっていたのである。しかも国家機密で。

体は大きく、しかも大人しい牛。これを周辺国に売りさばいていたのではないか。

この「牛のあいのこ」がいつしか「牛とのあいのこ」という噂に変わり、ついには人間と牛とのあいのこミノタウロスという神話になっていたのではないだろうか。

 

世界には数えきれないほどの神話が遺されている。しかし、神話は必ずしも完全な作り話とは言えない。はるか昔に起きた何らかの事件が語り伝えらてきた過程で、少しずつ内容が変化し、尾びれ背びれがついて壮大な神話になっていったものが多いのだ。

  

未解読の文字。

クレタ文明では独自の文字も考案されていたようだ。線文字Aと呼ばれている。

しかし、保存状態が悪い上に出土数も少ないので、いまだ解読には至っていない。

だからクレタ文明がどのような民族によって運営されていたかも謎のままである。

ちなみに、クレタ文明を発掘したのはイギリスのエヴァンズという人物である。

 

ミケーネ文明。

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クレタ島で陽気な商業文明が栄え始めた前2000年頃、アカイア人が北方からギリシア本土に移動してきた。

彼らは前1600年頃から、ペロポネソス半島ミケーネを中心に独自の文明を花咲かせることとなる。彼らが建設した代表的な都市国家として覚えておきたいのが、先のミケーネティリンス

アカイア人の文明は、代表的なミケーネからとってミケーネ文明と呼ばれている。

 

戦闘民族。

クレタ文明とは対照的に、ミケーネ文明は非常に戦闘的で、軍事への関心が高かったことが分かっている。

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ファイル:Mycenae lion gate dsc06382.jpg - Wikipedia

写真はミケーネの「獅子門」。頑丈な城壁に囲まれた城塞都市だったことがわかる。

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File:Mycenaean Treasure.jpg - Wikipedia

こちらはミケーネで発掘された武器など。

強大な王が、強大な武力をもって周辺を支配していた様子が見てとれる。

またミケーネ文明は、支配している農民から役人を通じて貢物を持ってこさせるという形で税を徴収する、貢納王政を行っていたことが分かっている。

クレタ文明を滅ぼす。

戦闘民族の目の前では、陽気な海の男たちが「ミノタウロス」を量産して大儲けしている。

アカイア人にとっては絶好の獲物として映っただろう。

というわけで前1400年頃、クレタ文明を滅ぼした。

このときアカイア人たちは、クレタで使われていた線文字Aに出会った。そしてこの文字を参考に、アカイア人独自の線文字Bを開発した。

線文字Bは状態のいいものが多数出土しているので、すでに解読がすんでいる。だから「貢納王政」が行われていたことも判明しているのだ。

ちなみに、線文字Bを解読したのはイギリスのヴェントリスである。

 

トロイア文明を滅ぼす。 

戦闘民族の破壊力はすさまじい。前13世紀には小アジアで栄えていたトロイア文明も滅ぼしている。

トロイア文明を発見・発掘したのは、ドイツのシュリーマンである。彼は幼い頃にホメロス叙事詩イリアスオデュッセイアを読んで感動し、発掘を志したという。

イリアス」は以下のようなお話。

トロイアの王子パリスは、スパルタ王メラネオスの妻ヘレネと恋に落ちてしまい、彼女をトロイアへ連れ去ってしまった。

激怒したメラネオスは兄のアガメムノンに、女房を奪い返すから協力してくれと要請した。アガメムノンギリシアでも有数の実力者だったので、彼の号令でギリシア中から兵隊が集められることになった。

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ファイル:MaskeAgamemnon.JPG - Wikipedia

この仮面はトロイアで発掘された、アガメムノンとされる人物。

 

こうして勃発したのがトロイア戦争である。

ギリシア軍を率いたのが英雄アキレウス彼はプティア王ペレウスと海の女神テティスの間に生まれた、人間と神とのハーフである。

テティスは生まれた子を冥府の川ステュクスに浸した。この川の水に浸かったものは、不死身の体を手入れることができるのだ。

果たしてアキレウスは不死身の体を手に入れたのだが、母親が足首をつかんで逆さにして川に浸けたので、握られていた足首だけは生身のまま残されてしまった。アキレウスには致命的な弱点ができてしまったのだ。

足首にある腱をアキレス腱というのは、実はこれがその由来なのだ。

 

大軍勢で攻め込んでみたものの、10年かかってもトロイアは陥落せず、ギリシア軍にも厭戦気分が広がってきた。

打開策として、ギリシア軍はある奇策を思いついた。名付けてトロイの木馬作戦。

ギリシア軍は侵攻を諦めたとトロイア兵に思わせるため、降参の証として巨大な木馬を造って城門の前に放置し、本隊を後退させた。
トロイアの兵士たちはまんまと信じ込み、戦利品として木馬を町に持ち込み、勝利の大宴会を始めてしまった。

しかしこの木馬の中には、アキレウス以下少数の精鋭部隊が潜んでいたのだ。
宴会が済んでトロイア兵がみんな酔っ払って寝込んでしまうと、ころあいを見計らってアキレウスたちが木馬から出てくる。そしてこっそり城門を開くと、隠れていたギリシア軍本体が一斉に攻め込み、ついにトロイアは陥落した。
しかしアキレウスは、トロイアの王子パリスに矢を打たれ、その矢が彼の「アキレス腱」を貫いたので、あっけなく死んでしまった。

トロイアは実在したか。

こうしてトロイアは滅亡したのだが、「イリアス」はあくまでも神話のお話なので、どこまでが本当なのかは謎のままである。だから、本当はミケーネ文明に滅ぼされたのではないかもしれない。いや、そもそもシュリーマンが発見したこの遺跡が、本当に「トロイア」なのかも確定できないのだ。

 

発掘したシュリーマンは、あくまで実業家であり、考古学者でも歴史学者でもなかった。だから彼の発掘はめちゃくちゃで、遺跡は取り返しがつかないほど傷付いてしまった。
加えてトロイアからは文字も発見されていない。だから、どんな民族が営んでいたかも不明のままである。

 

戦闘民族の滅亡。

これほどの強勢を誇ったミケーネ文明だが、前1200年頃、突然滅亡してしまった。このころ、ほとんどの宮殿が燃え落ちているのだ。
前1200年頃といえば、ちょうどかの海の民が暴れまわった時期なので、それに巻き込まれたんじゃないか、という説もあるし、この頃ギリシアに南下してきたドーリアに滅ぼされたのではないかという説もある。もしくは何らかの天変地異で滅びたかもしれない。要するに、滅亡の原因は解明されていないのだ。

 

暗黒時代の幕開け。

ギリシア世界は混乱の時代に突入した。いつしか文字も失われてしまったので、記録がまったく残らなくなってしまった。
この混乱期を暗黒時代と呼んでいる。

とはいえ、この時期にドーリア人がギリシア鉄器文化を持ち込んでいる。

 

ギリシアが「文明」という光明を取り戻すためには、この後400年という膨大な年月を必要とすることになる。

 


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