生きるって厳しい

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【糖尿病】 はじめての失業。

このお話は「人身事故は家族の結束を強めてくれるか。」の続編です。

 

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 息子の卒業式。

3月は卒業式のシーズン。

息子が保育園を卒業する。

つい先日、3年生を卒業させたばかりではあるが、やはり自分の地肉を分けた息子の卒業式。胸に湧き上がってくるものも、先のとはかなり趣が異なっている。

嫁は嫁で、とても愛情深げに息子を見つめていた。この「海の生き物」も、やはり母親だったのだ。

 

俺自身の卒業もまもなくという時期だった。だからどうしても、今後のことが脳裏に浮かんでしまう。

感動に身を浸していたいが、その前になんとも言えない不安が覆いかぶさってくる。

そんな不安定な感情を表に出してしまったら、それこそすべてが台無しである。ここはつとめて明るく、感動を演出しなければならない。

 

終わらない春休み。

息子は保育園を卒業したが、そのままその保育園が運営している「学童保育」を受けることになっていた。

というわけで、息子は今後もしばらく、この保育園に御厄介なる予定だ。

卒業後も、息子は楽しそうに学童保育へと通っていた。

 

春分の日を迎える頃、俺も専任を卒業・・・退学か・・・した。

何を差し置いても、まずは次の仕事を探さなければならない。

非常勤講師だった時代が12年もあったので、夏休みとか冬休みとか、1か月以上続く長い休みは当たり前のように経験している。しかし大学を卒業して以降、職に就いていなかったときなんか一日もなかったので、その不安は想像をはるかに超えるものだった。

何としてでも、早急に新しい職を見つけなければ。

さっそくJR錦糸町駅の近くにあるハローワークを訪ねた。

そこで思わぬ申し出を受けた。失業手当がもらえるという。考えてみたら、3年間しっかり専任として働いていたのだ。「失業手当」という名称は聞いたことがあったが、まさか自分がその対象になるとは。

思わぬ収入に、少しだけ希望が湧いてきた。

 

失業手当のための手続き、思っていた以上に面倒だった。とはいえ、以前もらっていた給料の半分の金額になるとはいえ、3か月もの間お金をもらい続けられるのだ。これも仕事だと思えば、むしろ楽なものではある。

 

新しい仕事か。一時期、本気でマスコミ関係も考えたこともあったが、やはりもう15年も続けてきた教育業界である。今さら何か、他に魅力的な職種が思いつかない。

とはいえ、ハローワークに掲示されている仕事に教育関連なんかほとんどない。実際、窓口の方からも、教育関係はほとんどないから、職安で探すのはあきらめた方がいいとまで言われてしまった。

困った。仕方ないので、とりあえずネットで何かヒントを探してみよう。

 

失業手当をもらい続けるためには、ハローワークから課されたミッションをこなし、定期的に報告に上がらなければならない。

すなわち、決められた以上の就職活動を続けなければならないのだ。

とはいえ、教職関連でできる就職活動なんてそんなに多くはない。まずは派遣会社への登録か。

もちろん、登録したらその派遣会社に面接を受けに行くので、それが就職活動として認められることになった。

他にも「日本私学教育研究所」というサイトが教員の募集をしているので、毎日のように覗いてみる。3月とか4月といった、新学期が始まる前後でも、たまに1件や2件の教員募集があったりするのだ。

問題は、その募集がほとんど社会科ではないこと。英語や国語、数学といったメイン科目は結構あるのだが。

しかも社会科は免許持っている人も他の教科と比較にならないくらい多いし、そもそも募集が少ない。非常に狭き門なのだ。

そのうえ30歳くらいまでといった年齢制限まで課される始末。「くらいまで」ってなんなんだ、いい加減過ぎないかと、心の底から思う。

これでは40過ぎの「ベテラン」が再就職するのはかなり難しい。

 

失業手当はクリアできたが、実際に職にありつけるかは別問題。

予想はしていたが、次の秋口までは仕事にありつけそうもない。

終わらない春休みの幕開けである。

 

息子の入学式。

じじばばが、息子のためにスーツを一着、そしてランドセルをあつらえてくれた。

これを着て、息子は入学式に臨むのだ。

最近は、ランドセルも赤と黒の2色だけでなく、いろいろとカラフルなものが出回っている。

しかし俺は、そんなチャラチャラした色のランドセルなんか許さない。男は黙ってである。

実際、黒いスーツに黒のランドセルがとても似合っていた。

 

学校の正門前で、どこかのテレビ局が取材をしていた。

典型的なぴっかぴかの1年生ルックの息子である。さっそく取材班がインタビューしてくれた。しかし緊張のせいか、ただのヘタレなのか、マイクを向けられた息子はただうつむくだけで、アナウンサーの質問には一切答えなかった。

まるで何かやらかした大臣への取材のようだった。

そんなわけで、残念ながら息子の姿はテレビで報道されなかったが、入学式のシーンは昼のどこかのワイドショーで流れていたようだ。

 

子供たちもご父兄たちも、みんなにこやかで晴れ晴れとした一日。

たぶん俺だけが、笑顔を絶やさぬよう努めながら、何か頭の中にあるモヤモヤしたものと戦っていた。

どんなに忘れようとしても、失業という不安から逃れられない。起きてから寝るまで、ほぼ一日中、頭の中のどこかに居座っている。

焦ってもどうにもならないとわかってはいるが、どうしても、何をしていても、必ず顔をもたげてくる。

せっかくの入学式なのに、思い浮かんでくるのは、不安定で絶望的な未来だけ。

目に映る風景が、どれもこれもみな、かすかすに傷のついた透明なプラスチックの板を通して見ているようだ。

 

その日の晩飯は、寿司。蔵前通り沿いにある、ちゃんとしたお寿司屋さんである。

ちょっとしたお祝い事があると、だいたいそこでやることにしていた。

そういえば、酒飲んでるときだけは、たぶん不安から解放されていた気がする。

何も考えず、ただ酒と息子のしぐさに酔いしれていればいいのだ。

 

そうだ、洗濯しよう。

あまりにやることがないので、部屋を片付けることにした。そういった仕事なら山ほどある。

まずは、脱衣所の奥に陣取っている洗濯物の山

晴れた日は毎日やることにした。干せるだけ干したかったので、洗濯機を2回回した。2回回すと、ベランダの物干しざおがたゆむほどの洗い物が出る。

うっかりしていたのだが、物干しざおがたゆむほどなので、洗濯物一枚一枚が密集した形で干されることになる。

まだ4月の日差しなので、3日干しっぱなしにしても完全に乾いてくれない。

しかたないので、もう一回、量を半分にして洗いなおすことにした。

山の底まで洗い終わるのに、実に丸々1か月を要した。すると一番底から、冬の間ずっと見つからずに困っていた半纏が出てきた。

そうか、この山、2年近く前から築き始められたんだな。なるほど服もなくなるわけだ。

 

ありもしない視線におびえる。

部屋の片づけは午前中には終わらせ、その後は自転車で散歩に出かける。

拠点が業平なので、上野へ行ったり北千住へ行ったり、月島方面へ出たりと、結構効率良くいろいろ回れることに気が付いた。

 

回りながら、目につくのは一生懸命働くサラリーマン。

こんな平日の昼日中から、のんびり自転車で散歩している自分がなんとも情けない。

忙しいということがどれだけ有難いことか。仕事している間は、仕事以外のことなんか考える余地すらない。必死に、今目の前にあるミッションをこなすことに全力を捧げられる。

なんともメリハリのある一日。まさか、そんな当たり前のことがこれほどまでにかけがえのないものだったとは。

 

散歩を繰り返すたびに、仕事にありつけない毎日が耐えがたいものに感じられてくる。

働けるのに、その実力も時間もあるのに、働けない屈辱

近所のスーパーで夕飯の買い物をしていると、俺のことなんか誰も気にも留めてやしないのに、こうして買い物していることすら恥ずかしいと感じてしまう。

冷静に考えれば、例えば飲食店を経営してらっしゃる方なら夕方から店を開くところも多いし、夜中から朝まで仕事してる人だってたくさんいる。

そんな人々が夕方にスーパーで買い物していたって何の問題もない。

仮に俺が買い物をしている姿を気に留めた方がいらっしゃったとして「あの人きっと失業者よ。かわいそうねえ、仕事がないなんて。」なんて全て見透かして憐れむことなんかあるはずもない。

そんなこと、考えなくても分かりそうなものだ。しかしその時の俺は、まさにさらし首にされた罪人くらいの心境で、見られてもいない視線におびえていたのだ。

 

最後の家族旅行。

嫁も相当気になっていたのだろう。彼女の素行は何も変わらないし、それで俺のフラストレーションもいよいよ爆発しそうになっていたのだが、彼女から一つの提案があった「ゴールデンウィーク、どっか行こう。」と。

願ってもない、絶好の気晴らしになるだろう。快く応じた。

 

さっそく伊東温泉での一泊旅行を手配してくれた。

久しぶりの温泉。

大きな畳敷きの部屋。

贅沢な山海の珍味。

息子の力いっぱいはしゃぐ姿に笑いが止まらない。

ミカン狩りもしてきた。息子の底知れない欲望が頼もしかった。

 

それなのに、すべての光景が色あせて見える。どうしても、心の底から楽しむことができない。いつも何かに頭を締め付けられているような感覚。

もちろん、そんな心境を表に出すわけにはいかない。今は、夫として、そして父親として、無理やりにでも楽しまなければならないのだ。

 

愛おしい我が子。

旅行から帰り、またいつもの毎日が始まった。

我が家は賃貸マンションの9階。片側一車線の通りに面している。

息子の通う学校は通りを渡った向こうにある。

午後、洗濯物を干していると「とおちゃ~ん」と元気で大きな声。息子が洗濯物を干している父親を見つけ、存在をアピールしてきたのだ。

交差点で、信号が赤から青に変わると、あたかも模範解答を演じるように、おずおずと右手を挙げ、車が来てないか左右をゆっくり見渡す。わざとらしいことよ。

ゆっくり横断歩道を渡り切ると、全速力でマンションに駆け込んできた。

ピンポンと呼び鈴が鳴るので「はい」とインターホンに応答。

「おかえり!」と元気な大声。

「『ただいま』だよ。」と笑いながらドアを開けてやる。

 

かけがえのない、俺の宝物。どうか、ずっと悪さして俺を困らせてくれ。

お前が成長する姿、それだけが、俺の生きがいなんだ。

 

まさにその夜、事件は起きた。

 

この話は次回に続く。

 


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