エジプトはナイルの賜物。
ティグリス・ユーフラテス川下流域でシュメール人たちが都市国家を営み始めたころ、ナイル川流域ではエジプト人たちが独自の文明を築き始めていた。
エジプトは、メソポタミアより地理的に守られた地域だといえる。
北は地中海、東は紅海があって海で他地域と区切られている。また西には広大なサハラ砂漠が広がっている。砂漠地帯の人口などたかが知れているだろう。
だから、大規模な外敵に侵入がメソポタミアよりはるかに少なかった。
もう一つ、メソポタミアと大きく異なる点がある。それはナイル川の氾濫の仕方だ。
ティグリス・ユーフラテス川は、春の雪解けの時期にあると、上流の山岳地帯から不定期に、そして突発的に洪水が襲ってくる。
洪水の規模のまちまちで、まれに都市をも飲み込むような巨大な洪水が襲ってくることもあったようだ。
これに対してナイル川の氾濫は、7月中旬ごろからゆっくりと始まり、4か月かけて穏やかに増水し、そして引いていく。
ある程度の水量の増減はあったとしても、毎年決まった時期に始まり、決まった時期に終わる洪水。上流の栄養分豊かな泥を安定して供給してくれるナイル川。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、エジプト文明をナイルの賜物と表現している。
またエジプト人たちも、シュメール人が発明したのと同じころに独自の文字を使い始めた。それがヒエログリフ(神聖文字)である。
詳しくはWikipediaをご参照ください。
ファイル:Egyptian funerary stela.jpg - Wikipedia
洪水の質と立地条件と死生観。
メソポタミアの悲観主義。
メソポタミアとエジプトでは大河の洪水の仕方がまるで違う。
メソポタミアのそれは、春に始まることを除けば毎年大きさも回数も違う。そして時には苦労して築き上げた財産を、一瞬で奪い去ってしまうものだ。
ティグリス・ユーフラテス川は、豊かさをもたらしてくれると同時に、すべてを奪い去ってしまうものでもあったのだ。
加えて周囲に開かれたメソポタミアには、その富を狙って多くの異民族が襲ってきた。そのたびに、多くの血が流され、最悪の場合は国家そのものが滅ぼされ、すべてを奪われる。
どんなにまじめに必死で働き、やっとの思いで築き上げた地位や富も、神の気まぐれで一瞬にして奪い去られるのだ。
そしてそれは人間だけでなく、神々においてさえ例外ではないのだ。
例えば女神・イシュタルはギルガメシュに求婚するが断られる。神々の中でも絶世の美女と讃えられた、愛と美の女神なのに。その腹いせに獰猛な天牛を大地に放ち、人々に無慈悲な災厄を見舞ったのだ。
そしてギルガメシュ自身も、親友のエンキドゥを理不尽な呪いで殺され、自身も苦労の末に手に入れた「若返りの秘薬」を帰国直前に奪われた。
努力がすべて報われるわけではない。人生とは理不尽なものである。
そして始まりがあるものには、必ず終わりがある。形あるものは、いつか必ず壊れる。人間の生も、たぶん死んだらそれでおしまい。
だからメソポタミアでは、周囲の文明と比較して、死後の世界に関する記述が少ないという。もちろん、まったくないわけではないのだが。
このようなメソポタミアの不確実な未来は、月の神シン(ナンナ)が象徴しているといえる。「月の神」シンは同時に「大地と大気の神」でもあった。
月自体は規則的に満ち欠けを繰り返すので、シンは「暦の神」でもある。そして「暦の神」であるがゆえに、未来の運命を決める力があるとされた。その力は強大で、神々でさえ、シンの考える未来を知ることはできなかったという。
たった一柱の神がすべての未来を決めてしまうのだ。
メソポタミアでは太陰暦が用いられたが、運命を握るのが「月の神」なのだから、それもまた道理といえるだろう。
エジプトの楽観主義。
一方エジプトでは、ナイル川が安定して穏やかに増水し、豊かな泥をもたらしてくれる。
加えて地形的に守られた空間では、同じエジプト人同士の争いはそれなりにあっただろうが、突然異民族が大挙して襲ってくることはほとんどなかったと考えられる。
来年の洪水は確実に7月中旬に訪れ、10月には豊かな泥を残して引いていくのだ。きっとこのサイクルは永遠に続くものと、エジプト人の誰もが信じていただろう。
大河の恩恵が永遠に繰り返されるならば、例えば人間の命はどうだろう。きっと死んだ後もその魂は残り、おそらくは死後の世界で今と同じような人生を送り、また死んで現世に蘇ってくるのではないか。
大河の増減がが永遠に繰り返されるように、人間の人生もまた永遠に繰り返されるのである。
それを端的に示すのが太陽である。明け方東の地平線から昇ってきて、夕方西の地平線へと沈んでいく。
エジプト人はこのような太陽の動きを、太陽は明け方に生まれて夕方に死ぬと考えた。
太陽は死んだ後「黄泉の国」で再び生まれ変わり、その生涯を全うし、また「あちら」の夕方に死んで「こちら」の明け方に生まれ変わる。
太陽はこの生まれ変わりを永遠に繰り返すのだ。
肉体を持つ人間や動物などの場合、死んだら体から魂が抜けて、魂だけが「あちら」で生まれ変わる。
魂が迷わずに「あちら」に行けるよう、墓には死者の書と呼ばれる、冥界への旅行ガイドブックが添えられた。
File:PinedjemIIBookOfTheDead-BritishMuseum-August21-08.jpg - Wikimedia Commons
魂がまた「こちら」で再生するとき、もし器である肉体が失われていたら、魂は永遠にさまよってしまうと考えた。
だからエジプト人は、帰ってきた魂が宿る器として、肉体をミイラにして保存したのだ。
File:Mummy in Vatican Museums.jpg - Wikimedia Commons
帰属: Joshua Sherurcij
そう、エジプト人には、永遠に繰り返される約束された未来が待っているのだ。
「約束された未来」の象徴は太陽である。だからファラオと呼ばれたエジプトの王は、太陽神ラーの化身として世界に君臨した。
そして暦も、太陽の運行をもとにした(正確にはナイルの増水を告げるシリウスの動きによるのだが)太陽暦が採用されている。
領域国家の成立。
メソポタミアとほぼ同じころ、ナイル川流域でも灌漑農業が行われ始めた。
ただし、メソポタミアと大きく異なるのは、外敵の侵入される心配がほとんどなかったので、エジプト人の集落は頑丈な城壁で囲まれていない。
彼らの営んだ村落共同体をノモスという。
ノモスは大きく上エジプトと下エジプトというグループに分かれていた。上エジプトには22の、下エジプトには20のノモスが栄えていたという。
そして前3500年頃、ナイル川上流域の上エジプトと、下流域の下エジプトがそれぞれ領域国家としてまとまった。メソポタミアと違い、エジプトには都市国家同士が争った時代というものがない。最初から領域国家としてまとまった歴史を歩んだのだ。
この領域国家を統べる王をファラオという。「大きな門・家」という意味だ。
前3000年頃、「上エジプト」のメネス王(ナルメル王と同一人物か)が「下エジプト」を征服した。
統一エジプトの新たな都は、ちょうど上下エジプトの境界線に建設された。その都がメンフィスである。
こうして統一されたエジプトにおいて、独自の文明が発展していくのだ。