生きるって厳しい

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叔母の葬儀

先週、叔母が亡くなった。

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それからほぼ1週間、彼女はずっと冷蔵庫の中で眠っていた。

冷たいベッドは高くつく。たぶん10万以上したんじゃないだろうか。

葬儀に参列するために仕事を休まなければならないから、その前日は穴を埋めるための作業がてんこ盛りである。

足りないものはないか、報告し忘れてることや部署はないか。いつもより2割増しくらいで働き、学校を後にした。

 

通夜は18時から始まるが、その前に納棺の儀なる作業がある。要するに、叔母を冷蔵庫から出して棺に移す儀式である。親族のみで執り行われる「プレ儀式」である。

その過程で、遺体のお色直しをしたり、あらかじめ副葬品として入れておきたい品々を棺に納めるのだ。

当たり前なのだろうが、みんな悲しそうに鼻をすすったり目を拭いたりしている。

知らない顔が半分くらい。正確な縁はわからないが、どうやら死んだおばさんの、これまたずいぶん前に他界した旦那の系列のようだ。

改めてお顔を拝見する。とても安らかな寝顔だった。

 

「納棺の儀」が終了すると、ほどなくして通夜の儀が始まる。

導師がいらっしゃり、厳かに儀式は始まった。

しばらく読経が続き、その後、喪主から焼香を行っていく。

よく見る通夜の風景である。粛々と式は進み、滞りなく終了した。

 

通夜が終わればお食事会。

久しぶりに再会した親戚一同と楽しく酒飲んでわいわい騒ぐ。

ああ、そういえばこの中の半分以上は、2週間前に親父の三回忌に参列してくれたんだっけ、故・旦那さん方面は抜きにして。

 

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帰らなくていいのは本当に心強い。終電を気にすることもなく、心置きなく飲みまくれるというものだ。

22時を過ぎたあたりで、一気にぞろぞろと帰り始めた。結局、居残って朝まで線香を絶やさないお役目を担ったのは、俺を含め4人である。

もっとも、最近は蚊取り線香のようなぐるぐる螺旋を描く長い線香があって、一度灯をともせば12時間燃え続けるという便利なものがあるので、夜番は酒飲んで酔っ払ているだけでいい。

 

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というわけで、二次会である。近所のコンビニに行き、酒をしこたま買い占めてきた。

 

4人のうち、一人だけ故・旦那さん方面、新潟からいらっしゃった方が残っていた。

彼の出身は十日町。そして奥様は津南町の出身だという。

俺は大学時代、民俗学の研究で2度ほど津南町に滞在した経験がある。

その辺から話は大いに盛り上がり、気が付けば2時半を過ぎていた。

 

そしていつしか酒も飲みつくしていたので、これで寝ることにした。なんだかんだで明日も早い。

 

 

7時過ぎに目覚めた。

告別式は10時20分開始である。

今は葬儀場もお泊り関連の設備が充実していて、きれいな浴室も完備されている。

さっそくシャワーを浴びて身を清めた。

極度の二日酔いで食欲など皆無だったが、昨日の残り物の「ランチパック」を一つ食べた。残しておいてももったいないし。

ちょっと吐きそうになりながら完食したあと、テレビ見ながら水をがぶがぶと飲んだ。

アルコールは体内で「加水分解」される。そちらに水分が費やされるので、大酒を飲んだ翌日はとてものどが渇くのだ。そして大量に水を摂取することで、二日酔いも早めに回復する・・・はずである。

 

10時を過ぎ、参列者もあらかた集結したころ、係の方が呼びに来た。

時間通り、告別の儀が始まった。

実は亡くなって1週間が過ぎてしまっていたので、遅ればせながら初七日の儀も続けて行われた。

焼香も2回回ってくることになる。

真言宗なのだが、初七日の儀の読経として般若心経が唱えられた。

生で聞く般若心経、生まれて初めてである。そりゃあ、お経だから読まれるわけだが、実際聞いてみると、とても新鮮に感じた。

 

儀式が滞りなく済むと、参列者はいったん隣の部屋に移動する。その間に係の方が祭壇の花を摘み、棺を部屋の中央に移動させる。

最後のお別れである。みんなで棺の中に花を敷き詰め、ふたを閉めた。

喪主から参列者に感謝の辞が述べられるが、涙で声が詰まってしまい、それがまた参列者の涙を誘う。

 

 

火葬場へは車で20分ほどかかった。

板橋は、江戸時代は中山道の宿場町として栄えたところである。

その中山道に沿って、埼玉方面に向かうと火葬場がある。

途中、見たことのある風景が目に飛び込んできた。ここを通ったのはいつだっただろうか。

ほどなくして思い出した。息子の髪で筆を作った時だ。

 

 

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 まだ一度も鋏を入れていない、赤ん坊の髪の毛で筆を作る。初めて髪を切るというビッグイベントともに、切った髪で筆が作れるのだ。こんなことができるのかと、知った時は心の底からワクワクしたものだ。

そんなお店が、中山道志村坂上あたりにあったのだ。なにも葬儀の日に思い出させてくれなくたっていいものを。

ぎゃーぎゃー泣き叫ぶ息子を抑え、無理やり髪を切った、あの幸福感。

 

 

火葬場に到着。

導師様もいらっしゃり、最後のお経を唱えてくださる。

棺が窯に入り、扉が閉じられると、係の方が壁のボタンを押す。するとチリリリリとサイレンが鳴り、窯に火が入る。

焼香台が運ばれてきて、代わる代わる焼香を済ませる。

全員終わると待合室へ案内される。

焼きあがるまでは小一時間といったところか。それまで、またビールをあおる。もう心からいらない。本当に無理やり飲んでいる。なんでこんな苦行を自ら買って出ているのだろう。

 

窯に入ってまだ30分ほどしかたっていないが、もう焼きあがったとの知らせが。最近の火葬場は火力も強くなったようだ。

しかし、ちょうどビールをコップになみなみとついだ直後だった。しかたない、一気に飲み干そう。

炭酸が容赦なく食道を刺激する。その直後に大量のげっぷ。もう酒なんか飲みたくない。

 

窯へ向かうと、ほどなく焼きあがった遺灰が運ばれてきた。そこで違和感に気付く。

俺の見知った遺灰は、棺が載せられていた長さ2メートルほどの台車の上に、焼かれたままの姿で運ばれてくるものだ。

しかし今回は、80センチ四方ほどの、四角い大きなちり取りか、さもなくばトレイのようなステンレスの器に乗せられてやってきた。

骨が圧倒的に少ないのだ。もともと体の小さかったおばさん。そこへ抗がん剤を長期間投与されてきたことで、骨がだいぶもろくなっていたのだろう。多くが粉々になり、原形をとどめずに炎で吹き飛ばされてしまったに違いない。

 

二人一組になり、遺灰をひとつずつつまんで骨壺に納める。俺の相方はおふくろである。

毎回そうだが、遺灰になって帰ってくると、もうほとんど皆さん、涙を流していない。

これでおしまいという、諦めの境地に達するのだろうか。

俺が初めて火葬場を訪れたのは、中学1年生の時。ばあちゃんの葬式だった。

火葬場へ運ばれてしまうときの、そして窯へ放り込まれるときの、噴き出してくるような、抑えきれない涙と悲しみ。

焼きあがるまでの1時間がとても長く感じたものだ。

しかし、いざ遺灰を目の当たりにしたとき、それまでの悲しみは一瞬で消えてしまった「え、こんなになっちゃうの?」。

もはや生前の面影はどこにもない。これで故人は完全に「過去の人」となるのだ。それを多くの方が否応なしに実感させられるのが、この遺灰との対面なんだろう。

 

 

遺骨とともに、再びバスに揺られて葬儀場へ戻る。

葬儀場では精進落としの料理が待っていた。さあ、最後の宴である。気合い入れなおさないと。

とはいえ、もうみんな疲れ切ってしまっている。あまり元気にはしゃぐこともなく、宴は静かに終了した。

 

従兄妹たちと、また近いうちに旅行に行こうと約束する。早くしないと、どんどん数が減っていってしまう。残っている者たちがまだ元気なうちに、なるべく多くの思い出を残したいものだ。

 

喪主、心身ともに限界に近い状態だろう。俺だって、親父の葬儀が終わった夜、晩飯食ってたら突然心臓を握りつぶされるような激痛に襲われ、その場でぶっ倒れてしばらく動けなかった。

幸い大事には至らなかったが、喪主は大丈夫だろうか。とても心配である。しばらくゆっくり休めるといいのだが。

  

 

しかし、なんであそこまで頑なに酒を飲もうとしたのだろう。思うに、やりきれない現実を見たくないからではないだろうか。まるで他人事のようだが、正直、他人事として打っちゃってしまいたい。

生きるって厳しいから。

 


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