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【世界史】市販の歴史地図は使い勝手が悪い! というわけで自分で作ってみた。まずは「肥沃な三日月」

まずは人類が農業を始めた地域。

 

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およそ1万年前、氷河期が終わって地球は急速に温かくなった。急激な気候変動で植物や動物の分布も大きく変わったことだろう。

だから人類も、氷河期と同じような生活を続けることができなくなり、新たな食糧確保の方法を探らなければならなくなった。

ティグリス川とユーフラテス川を中心として東地中海沿岸へと広がる地域では、ムギが自生していた。肉や果物と違い、穀物は数年でも保存できる。次にいつ獲物が手に入るかわからない時代に、穀物であるムギが豊富に採取できるこの地域は、人類にとって「楽園」に見えたことだろう。

加えて、周囲はほとんど乾燥地帯。水を求め、人間も動物も自然と集まってきたに違いない。

そして人類は、ムギの実から芽が出て成長し、またたくさんの実をつけることを発見した。

周囲の雑草を抜き取り、代わりにムギを蒔いておけば、そのうち周辺はムギばかりが生える土地になっていく。

こうして人類は農業を発明したのだ。その甲斐あって、人口は比較的安定して増加していった。

 

肥沃な三日月の中心は「メソポタミア」。

メソポタミアとは、メソ=間、ポタミア=川の複数形(単数形はポタムス)で、「二つの川の間の土地」を意味する。

不定期に洪水をおこし、周囲を泥水で埋め尽くす。そして水が引いた後には、栄養豊富な泥が残された。

農業が発明された当時、人類にとってこの川の恵みは、「洪水」という名の神々の怒り以外の何物でもなかった。突然襲ってきては、周囲のものをすべて洗い流してしまう。食料も財産も家も、人々の命すら簡単に奪い去ってしまう。

だから農業が発明された当初、大河のほとりで農業できなかったのだ。だから初期農耕遺跡であるイェリコやジャルモは大河の流域からかなり離れた所に位置している。

 

しかし6500年ほど前、ついに人類は神々の怒りを利用する方法を考え出した。それが灌漑農業だ。あえて洪水がやってくる大河の周辺にため池を作り、増水した泥水をため池にためておく。

水が引いた後、残された栄養豊富な泥の上に種をまく。そして溜めておいた水を適宜畑にまくことで、それまでよりはるかに豊かな実りを実現した。

 

灌漑農業の発明によって、人々はさらに豊かになった。

もはや全員が農業に携わる必要はない。様々な職業を手にした人々による分業が行われるようになる。

神に祈ることを専門の仕事とする神官や、便利な道具を作る職人、それらを売り買いする商人、そして外敵から人々を守る戦士といった職業が出現した。

農業に携わらないのだから、畑のど真ん中に住んでいる必要もない。むしろどこか一か所に固まって住んでいるほうが、物のやり取りも効率よくできるし、何より外敵から身を守るのに適している。

一か所に固まって住んで、その住む場所を頑丈な壁で囲んでしまえばいいからだ。

人々は、神の加護を受けるために壮大な神殿を建設し、その周囲に集まって住むようになった。これを城壁で囲めば都市の完成だ。

 

こうしてメソポタミアには豊かな農業文明が栄えることになった。しかし同時に、メソポタミアから離れた地域に住む人々との間に貧富の差も生まれた。

だから周囲の乾燥地帯や山岳地帯からは断続的に蛮族が富を奪いにやってきた。

そして都市同士もやはり互いに敵対しあい、支配権を奪い合った。

 

戦いに勝利した都市はさらに発展し、都市国家と呼べるほど大きく成長していくのだ。

 

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