うれしいお知らせ。
昔々のある日の放課後、1年生の担任が自分のところにやってきて「先生、学級日誌読んでいただけますか。」とおっしゃる。
念のため解説すると、学級日誌とは、学校生活でその日にあった出来事や時間割、授業の雰囲気などをその日の日直が記入する冊子のことである。
開かれたページを見てみると、今日の日付。確か3限目に授業があった。
今日の時間割を記入する欄の下にコメント欄がある。担任はそこを読んでほしいようだった。
「クラスのみんなが『日本史たのしい。一番好き~』『歴史嫌いだったけど〇〇(自分)先生の授業受けてからすごい好きになった~~』なんて言っててステキです。」なんて書いてあった。
念のために断っておくが、別に自慢したいわけじゃないし、もちろんフィクションでもない。
しかし、心底うれしいお知らせだった。
担任は何かコメントを書いてほしいと言ってきたので、喜んでお受けした。
「とてもうれしい。顔から火が出そうです。これをエネルギーに、明日からまた暑苦しく授業やります。ありがとう。」
本当は「お前たち、愛してるよ。」と書き足したかったが、そんなこと学級日誌に書いてまた問題にされてもめんどくさい。今回ばかりは、その気持ちを胸に納めておくことにした。
20数年で8校回って。
以前、何年か専任もやっていたが、20数年の大半は非常勤講師という身分でいろんな学校を渡り歩いてきた。
その間、どれだけの失敗を重ね、どれだけ先輩方から助けていただき、そしてどれだけ反省したことか。
まさに後悔ばかりの日々を繰り返す中で、どうしたら子供たちと充実した関係を保つことができるかを考え、実践してきた。
その結果がしっかり現れてきたのは、40歳を過ぎたころだったと思う。
先に紹介した「学級日誌」は、まさにその結果であると確信している。
他にも、例えばこの授業アンケート結果。
ある学校で抜き打ち的に行われた授業アンケートである。
基本的には「とても良い、良い、普通、悪い、とても悪い」の5択で、該当するものに〇を付けていく形式のものだが、特にコメントを残したい先生がいる場合、写真の別紙に記入する。
そしてコメントが残っていた教員は、なんと自分だけだったのだ。
これはもはや財産である。遺言で遺すつもりだ「棺に一緒に入れてくれ」と。
同時に、自分のやってきたことが間違いじゃなかったとお墨付きをいただいた瞬間でもあった。
そう、自分は自分の仕事に大きな自信を持っている。子供たちが、自分の授業だったら毎日受けたいと、全員とは言わないけど、思わせる自信がある。
胸を張って授業がしたいとずっと思いながら、失敗と工夫を繰り返して20年以上やってきたからだ。
とはいえ、先生方の大半がしっかり充実した授業をしていれば、自分がいくら頑張ったところで「その他大勢」の一人にすぎないはず。しかし現実は、先の授業アンケートがはっきり示しているだろう。
なんのことはない、自分が輝いているのではなく、周りがくすんでいるだけの話なのではないか。
よく見るダメな先生のパターン。
あんな授業、受ける価値なし。
昼食はできる限り、学食で子供たちの席に乱入して一緒に食べることにしている。
おおむね、最初は恥ずかしがりながらも好意的に受け入れてくれて、みんなで楽しくお食事会に興じるのだが、たまにものすごく嫌がられるときがあって、そんな時は露骨にがっかりしながら、他をあたる。
もちろん、学食がない学校に赴任したときは、仕方ないので職員室で同僚と食べるのだが。
子どもたちと一緒に食事をしていると、普段は聞けないような、かなりきわどいことも子供たちは教えてくれる。「〇〇(自分)ちゃんなら言っても大丈夫だよ」なんて、ずいぶんと買いかぶられたものである。
話の内容で多いのは、友達同士の対立とか、ある先生の授業がつまらない、もしくはある先生がものすごく嫌い、といったものである。
クラス内での人間関係がよくわかるし、どの先生が信頼され、どの先生が呆れられているのか大体わかってしまう。とても勉強になるひと時だ。
とはいえ、特に先生方に対する愚痴は「話半分」で聞くことにしている。
子どもたちは、自分たちをあたかも「被害者」のように語ることが多いし、ほんの一瞬あった出来事でも、もうずっとその調子で授業やっているような印象で語るからだ。
そういった意味では、自分もほかの先生方に何と言われているのか気になって仕方ないのではあるが。
そんなある日の食事中、女子の一人からいきなりお願いされた。「ねえ、日本史も先生やってよ。だって、ただ教科書生徒に読ませて『はいここからここまで線引いて』の繰り返しだけ。何の説明もないんだ。そんなの別に授業でやらなくたって、自分で一人でできるじゃん。」そして締めに「あんな授業、受ける価値なし」と。
当時、その子のクラスで世界史を担当していたので、こんな会話になったのだ。
そこまではっきり言うものかと衝撃を受けたが、話半分としても、さすがにこれはかなり心配になった。
日本史を担当していたのは、まもなく定年を迎えようとしている大ベテランの、日本史一筋40年といった先生だった。
体格も良くて声も大きいので、チャイムが鳴ってもだらだら廊下でふざけている子供たちを叱り飛ばす声が、よく遠くから聞こえてきたものだ。
そういう先生だから、子供たちは授業中に騒ぐようなことはしない。寝ることもない。
大声で怒鳴られてしまうからだ。
しかし、これは子供たちにとっては相当厳しい50分だろう。
面白くもなんともない授業。しかしいつ指名されるかわからないし、漢字を読み間違えただけで怒鳴られる。
そしてただ教科書に言われたとおりに線を引くだけ。
そうか、こんな授業をもう40年以上続けてきたのか。
そう思った瞬間、むしろその先輩先生が哀れに思えてきた。
だって、自分自身、こんなやっつけ仕事を楽しいと思ってやってるわけないのだ。
それなのに、おそらくは「授業なんてこんなもんだ」と自分自身を納得させながら、そして子供たちから発せられる冷たい空気に耐えながら、虚勢を張って空虚に過ぎていく授業時間に耐えていたのだ。
あくまで「憶測」ではあるが。
それでも、先輩先生はことあるごとに聞いてくる「子供たち、俺のことなんて言ってる?」と。
正直に「お前の授業なんか、子供たちに言わせれば『受ける価値なし』だぜ」なんて言うわけにいかないので「『(先輩)先生のほうが良かった』と、ことあるごとに言われて困ってます」なんて体よく流しておく。
そのたび、先輩先生はご満悦の笑みを浮かべる。
確かに、子供たちの多くがそう言っていた。なぜなら、教科書だけ覚えておけば、定期試験にはそのまま出題されるから楽なのだ。
そう、子供たちは素直に教えてくれる、頼んだわけでもないのに。
ブーメラン先生。
どうして、子供たちには「挨拶しろ」「チャイム着席しろ」なんて厳命しているのに、自分自身は挨拶もろくにせず、平気で毎回5分くらい遅れてクラスに入る教員が多いんだろう。
もちろん、自分もうっかり準備に手間取ってしまってチャイム鳴っているのに職員室から出られない時もあるので、あまり大きくは言えないのだが。
しかし、自分が出席取っていると決まって廊下をゆっくり歩いてクラスへ赴く教員がいる。ほぼ毎回なので、いくらなんでもと怒りすらわいてくる。
これもどこの学校でもよく見られる光景である。
子供たちはしっかり見ている。「あの先生、うちらに挨拶したこと一回もないんだよ。でもうちらには挨拶しろってすごい怒るんだ。まじむかつく。」と、学食だけでなく放課後のちょっとした子供たちとの会話でも、よく聞く愚痴だ。
中にはすごい猛者がいて、子供たちだけでなく、教員間ですらろくに挨拶もできない教員がいる。
実は、それが原因で職員室のど真ん中で専任を怒鳴りつけたことがあった。
その女性教員、1年前にどこかの学校をやめて、自分が赴任していた学校へやってきた。
来た当初から「コネ入社」と噂されていた人物である。
自分は非常勤なのでどうでもいいと思われていたのかもしれないが、こちらから挨拶しても、ただの一回も返されたことがなかった。
そもそも挨拶とは、相手からされることを期待してするものではないが、大人同士の、しかも同じ職場で働く同士で無視されると、誰でもイラっと来るのではないだろうか。
それでも廊下ですれ違うたびに、こちらからは必ず挨拶するようにしていた。
しかし、1年間ただの一度も返されることはなかった。
年度が替わって、ついに彼女が担任をするクラスで日本史を担当することになった。
何度か授業をこなし、すでに子供たちもかなりなついた頃だった。
事件があった日は、1時間目にそのクラスの授業があったので、チャイムが鳴る直前にはクラスの前で待ち構えていた。
しかし、朝のホームルームに手間取っているようで、チャイムが鳴り終わっても担任はしかめっ面で子供たちに何か話している。
結局、チャイムが鳴ってから5分も延長して、やっと教室から出てきた。そして自分の前を無言で通り過ぎていった。
「おい、なんか一言あってもいいんじゃないか。」と彼女を呼び止めるが、何か考え事でもしていたのだろうか、完全に無視して歩き去る。
「おい、完全に無視か。」とかなり大きな声で呼び止めると「は?」とやっとこっちを向いた。
「後でゆっくりやるから。」そういって教室に入り、いつも通り授業を展開した。
年度初めの職員会議で「今年度は、特に生徒たちに挨拶とチャイム着席を徹底させましょう。非常勤の先生方も、生徒から見れば専任と変わりません。どうか積極的に指導してください」と、教頭から訓示を賜ったので、いつも以上にその辺を注意していこうと、気持ちを改めたばかりだったのだが。
さて、授業が終わって職員室に戻り、荷物を置いたら女性教員の席へ。
「俺がここに来た理由、わかりますか。」といきなり詰問した。
「いいえ、わからないですが。」と返ってきた。この瞬間、血液が沸騰した。
「あんた、さっき俺があんたのホームルーム終わるの廊下で待っていたの覚えてるよな。普通な、予定を5分も過ぎて待たせたわけだろ、なんか一言あって当然じゃないか。
挨拶しろって子供たちに指導するんだよな。チャイム着席を指導しなきゃならないんだよな。それが学校の方針だよな。
そりゃあ、俺だって専任やってた時あるけど、朝、連絡事項が多すぎてチャイム鳴っても終わらなくて、1時間目の先生を待たせちゃったこともあるよ。でもさ、『お待たせしてしまい申し訳ありません』くらいのことは言って謝ったぞ。そしてここにいらっしゃる先生方、全員が多分そうするだろう。」と、一気にまくしたてた。
すると女性教員「すみません、これから気を付けます。」なんて言うと同時に泣き出した。
泣かれた瞬間、さらに怒りがグレードアップ。「あんたさ、ひょっとして、俺たちが非常勤講師だから見下してるんじゃないのか。確かに1年契約で来年の保証はないけどさ、そんな身分だって、必死に仕事してるんだよ。あんたはいいかもしれないが、職員室でこんな大声出しちゃったんだ。俺、今年でクビになるかもしれないよ。でもな、それでもやっぱり言わなきゃならないことはしっかり言おうと思う。俺、なんか間違ったこと言ってますか。」
さすがにこれは言い過ぎだったか。近くにいたご年配の先生が「もうそれくらいにしてあげてくれないかな。気持ちは本当によくわかる。だから、とりあえず落ち着いて。」なんて自分をなだめ始めた。
それでその場は引き下がったが、当然ながら、放課後になって教務部長と教頭に呼び出され、事の次第を尋問された。
もう何年も前の出来事だから細かいところは忘れたが、だいたいこんな感じだったと思う。
幸い、その後何のお咎めもなく、その学校ではあと2年働かせていただけた。
人とは鏡である。
他にも、例えば個人的な感情をあからさまに表に出してしまう先生とか、周囲が忙しく仕事しているど真ん中で、気が付いたら1時間ずっと家庭の話で盛り上がってる先生とか、数え上げたらきりがないだろう。
僭越ながら、自分はこれら残念な先生方を反面教師として、どうしたらもっと子供たちからの信頼を勝ち得ることができるかを考え、実践していきたい。
次回は、自分が実践している仕事におけるスタンスについて書こうと思う。