このお話は「先生と呼ばせるほどの馬鹿はなし」の続編です。
新米教師への洗礼。
まだ教員になりたての、20代の若造だったころ、授業中に騒ぐ子供たちをよく頭ごなしに怒鳴りつけたものだった。
その高校の子たちには、露骨に教員を試してくるのが多かった。まるで教員を煽って怒らせることが英雄的行為だとでも思っていたかのようだった。
若造だった自分はもろに挑発に乗り、たびたび感情的に爆発していた。
しかし、いくら頭ごなしに怒鳴ったって、効き目があるのはその時間だけ。また次の日の授業は、いわゆる学級崩壊状態に逆戻り。
そもそも多くの子供たちが大人はみんな敵だと思い込んでいるような節があり、4月の1回目の授業から、敵対心にあふれた視線が矢のように刺さってきていた。
教員生活開幕早々、いきなりバイオレントな職場に放り出されてしまったわけだ。
ベテランの先生方からは、やはり露骨に「なめられてんだよ」と馬鹿にされる。
そういわれるたびにとても悔しい思いをしたものだが、しかしそれが現実である。
確かに俺はなめられていた。
確か、テレビドラマで観たような。
はじめての赴任先は男子校だった。教室の床には煙草を押し付けた焦げ跡が至る所についている。
昼休み明けの5時間目なんか、授業に行くとほぼ必ずタバコ臭いので、冬だろうと構わず「窓全回にしろ」の一言から始まったものだ。
そんな学校だから、先生方もやくざっぽい風体の方が多かった。特に体育科の先生方は言葉も乱暴だし、良く手(足)も出ていた。
しかしそれにも一定の効果があって、彼らが授業やっているときは、子供たちはとても大人しく受けているという。
いや、そうやって子供たちを大人しくさせたって、それはいわばサーカスで猛獣を手なずけるのと同じで、力でねじ伏せているだけだろう。
子供たち、心の中では「いつか仕返ししてやる」なんて恨みを抱いていたかもしれない。
実際、いうこと聞いてくれない子供たちとの、まさに戦いの中で、だんだん心を開いてくれる子も増えてきたが、そんな子たちは異口同音に「あいつら俺たちのこと人間と思ってないから。絶対に許せねえ」なんて話してくれていた。
いくら教師という権力で威圧しても、怒られるの怖いから黙って授業受けているだけの話なのだ。
そんなことわかっていたが、じゃあどうやったら子供たちが能動的に授業に参加してくれるようになるんだろう。
「こんなふうに授業妨害したって、結局お前たちが処罰されるだけだろう」なんていえば、「おい、チクるのかよ、おもしれえじゃねえか。やってみろよ。」なんて脅し返してくる。
もう、そんな処罰にも慣れっこになっていて、退学すらどうでもいいとあきらめちゃってる猛者も、結構な数いるような状態だったのだ。
自信ってとても大事。
やっぱり、力でねじ伏せるしかないんだろうか。
いや、それは最終手段としてとっておこう。まずは自分自身が一生懸命仕事して、本気で仕事と向き合う姿を子供たちに見せてみよう。
いくら教師が威張りくさっても、中身がなければ子供たちもすぐに見破る。「こいつは張子の虎だ」と。
授業中に騒がれるより、こいつ中身スカスカなんて見下される方が、よっぽどつらいことだった。
当時の自分の知識なんて、よくも教員なんかになろうとしたもんだと、思い出して恥ずかしくなるほどお粗末なものだった。
というわけで、一から社会科のお勉強をやり直した。
そして現在も改定を続けながら使用している授業プリントも、このころ作り始めた。
我ながらわかりやすいプリントじゃないか。そう心の中で自慢しながら授業を続けていると、不思議と余裕もできてきて、子供たちの心無い挑発も、冗談として受け答えできるようになってきた。
するとこれまた不思議、子供たちの攻撃的な眼差しが、だんだん柔らかくなってきているのをはっきり感じるようになったのだ。
挑発や揚げ足取りも、暴力的なものから小馬鹿にしたものへ、さらにきつい冗談に、そして最後は笑い声に。
数年かけて少しずつだけど、子供たちの反応は明らかに変わってきていた。
子どもができて、心境が変わった。
教員生活も6年ほどたち、自分も結婚して子供ができた。
その瞬間から、見るもの聞くもの、すべてが今まで感じたことのないような、新鮮なものに思えた。
同時に、父親としての自覚というか、自分以外の存在のために生きる覚悟というか、これまた今まで感じたことのないような充実感が、胸の奥から湧き上がってくるのを感じた。
愛があふれ出るとはまさにこんな状態をいうんだろう。
今までのだらしない生き様が、本当に情けなく思えた。
息子が胸張って俺の父ちゃん!と言える人間に生まれ変わらなければならない。
いつの間にか、自分の生徒を見る目が、生徒ではなく子供になっているのを感じた。
たぶん、自分の口調も変わってきていたと思う。子供たちへの指導が、父親のそれになっているのだ。
困った子は困ってる子。
うちの子が成長したら、こいつらのどれに近い感じになるだろう、なんて思ってしまうと、どんな憎たらしいガキでもかわいく思えてしまう。
すると、子供たちの悪態つく心境について、冷静に推理できるようになってきた。
それまでは、冷静に分析しようとしても、どうしても感情が先に立ってしまい、それを我慢して我慢して、限界に達すると大爆発を繰り返していた。
こうなると、もう相手が泣くまで徹底的に叩きのめすしかなくなる。すると、確かにその後、その子はとても大人しくなるが、それは恐怖と不信感で固まってしまっているだけの話だ。
お互いに分かり合えないまま、相互に干渉しないことで卒業まで穏便に済ませようと思っているに過ぎない。
冷静に推理できるようになると、反抗したがる子たちが、実はとても困っている状況に陥っているのではないかと思えるようになった。
例えば、授業中に騒ぎながら、ちらちらこちらをうかがっている子。目が合うと視線をそらせてまた騒ぎ続けるが、しばらくするとまた目が合ってしまう。
何のことはない、この子は怒られたいのだ。早く怒ってくれと、こちらに催促しているのである。
どこでねじ曲がってしまったかわからないが、自分の存在を周囲に知らしめたいがために、わざわざ悪さする。そうすれば、例えば教員が名前を呼んで「うるさい」と声をかけてくれる。
とはいえ、「うるさい」と怒られれば、本人もいい気持ちはしないのだ。だからふてくされ、多くの場合は寝たふりして机に突っ伏してしまう。
まだとても小さかった頃、母親のお手伝いをして褒められた経験のある方は多いだろう。
逆に、例えば壁にクレヨンで落書きしちゃって思いっきり怒鳴られた経験のある方も多いだろう。
良いことをするたびに褒められていると、その子は褒められることを目的として良いことをするようになる。決して、良いことだから積極的に行うのではなくて、親から褒めてもらいたいから、内容の善悪は抜きにして良いことをするようになるのだ。
しかし親から見れば、言われなくても子供が良いことをしてくれれば、だんだんそれが当たり前となっていく。だから、子供が成長してくるにつれて、良いことをしても子供が望んでいるような称賛を得ることができなくなってくる。
特に弟や妹が生まれると、親はそっちの世話に専念しなければならなくなる。それまでは親の愛を独占できていたのに。
兄弟(姉妹)ができるのは、まさにクーデタで王位を簒奪されるような衝撃的な出来事なのだ。
良いことをしても褒められない。しかし、悪いことをすれば今まで通り怒ってくれる。
手段なんか何でもいい、ただ、親の愛(関心)を勝ち取るため、良いことの代わりに悪いことをするようになるのだ。
すると、願い通りに親はかまってくれる。怒られたくはないが、怒られるしか、親が愛を与えてくれないとどこかで思い込むようになるのだ。
そしてそのまま成長すると、無意識に教員の目を意識しながら騒ぐ子になるのだろう。
もちろん、これは一つの推理であって、すべてがこれで説明できるわけではない。
だったらこちらから攻めてやろう。
そんなにかまってほしいなら、こちらから積極的に攻めてしまえばいい。
授業中、私語に夢中になっている子がいたら、それとなく話を聞いていて、タイミングを見計らっていきなり会話に加わってみる。
たぶん子供たちはびっくりするだろうが、同時に「なんだ、聞いてたんだ」と安心もするだろう。
実際、こうやって話に割って入ると、多くの場合、それで私語をやめて授業に向き合ってくれる子が多い。くれないことも多いが。
そして授業が終わった後にでも、適当な話題でこちらから笑顔で話しかけてみる。すると結構楽しそうにいろいろと話してくれるものだ。ばつが悪そうに逃げていく子も多いが。
そうして一度打ち解けてしまえば、その後かなり厳しく指導しなければならない時でも、割と素直に聞き入れてくれるようになることが多い。
「〇〇先生が言うなら仕方ないか」まで言ってくれたらしめたものである。
思春期である。反抗期である。
そんなお年頃なんだから、反抗して当然くらいの気持ちで接していると、かなり気楽に授業もできるのではないだろうか。
今回は授業中に騒ぐ子にありがちな理由を取り上げて話を進めてみたが、他にも様々な子供たちとのトラブルがある。
中には心理カウンセラーのような専門家に入ってもらわなければどうにもならないような深刻なものもあるが、多くのトラブルは、子供たちと腹を割ってしっかり話をすることで回避できるものだと信じている。
もちろん、こちらから積極的に働きかけても、子供のほうがそれを拒むことも多い。
あまりにしつこく干渉しようとしても逆効果の時もあるので、その辺の見極めも難しいところだ。
生もの相手の仕事である。その場その場の臨機応変な対応が常に要求される。
そんな現場だからこそ、ベテランの先生方は「なめられてんだよ」なんて馬鹿にしてないで、自分の苦労した経験を話してやりながら、心が折れそうになっている若造を支援・指導してやってほしいものだ。