このお話は「親父の三回忌 その2」の続編です。
ご住職、俺の高校時代の同級生である。
そして死んだ親父は、なんだかんだと近所のこの菩提寺に足を運んでは、当時まだ若造だった現ご住職にいろいろと説教していたようだ。
そんな若造が今では一国一城の主。家庭を失い実家に逃げ帰ってきた負け犬にとっては、まったく肩身が狭い。
お袋は読経を聴きながら、ずっと目を閉じ手を合わせていた。50年近くともに生活してきた夫の死である。1年や2年で気持ちの整理などつくとも思えない。
それに引き換え、俺の緊張感のないことよ。
腹が減ってきたとか、この状況もブログネタにできるかとか、そういえば読経が日本語だとか、親父のことなどまるで頭の中にはなく、あっちへこっちへと落ち着きなく思い浮かぶくだらない妄想に、我ながらあきれていた。
そうこうしているうちに儀式は終了した。
続いて卒塔婆の搬送。
まずは子供たちを使役し、本堂入り口、賽銭箱の置いてあるところに卒塔婆を移動させる。
その間に俺は裏の勝手口から外に出て、賽銭箱の横に立てかけた卒塔婆を墓へと運ぶ手はずだったのだが、あいにくの雨である。傘さしながら運べる数は限られている。結局子供たちがやってくるまでその場で待たされることになった。
右手に卒塔婆5,6枚、左手に傘を持ち、さっきのように軽やかに墓室の上へ。
しかし、さすがに両手に結構抵抗のあるものを持ちながらでは、バランスを保つのは難しい。上ったまではいいが、後ろへバランスを崩して落ちてしまった。
その際、自分の保身のために卒塔婆を放り出す。
どんがらがっしゃんと、派手な落下音が墓場に鳴り響いてしまった。
卒塔婆の多くが傷ついてしまったり、泥が付いてしまったり。
とはいえ、俺の体には傷一つつかなかったので、何も問題ないことにしよう。
「無事」卒塔婆を設置し、みんなで線香をあげ、待合室へと戻った。
待合室には折詰の弁当が用意されていた。儀式の最後に、みんなで昼食をとりながら談笑するのである。
本来なら、ここでビールをがぶがぶ飲んでしまうところなのだが、いかんせん、車で来ている。ここはぐっと我慢しなければならない。
俺はもはやアル中なので、目の前に酒があるのに飲めないのは、敵を前にして背を向けるような屈辱感を味わってしまう。
これが新選組なら死刑ではないか。
近くでは、弟がいつも通り顔真っ赤にしながらずいずいとビールを飲みほしていく。
雨が恨めしい。
とはいえ、久しぶりに会った従妹たちと楽しく談笑できた。
法事なんて面倒な儀式、本当の目的はこの会食にあるのだと心底思う。
最も親しくあるべき間柄なのに、他人より会う機会の少ないのが親戚である。
みんな仕事持って、所帯持って、日々の生活を必死で生きているのだ。
俺みたいに春休み1か月半、あまりにすることがなくて気が狂いそうになってるやつなんて、そうそういないのである。
「宴もたけなわではございますが」なんて場違いなアナウンスをし、失笑を買いながら会食を閉めた。
「また近いうちに会おうね」なんて空々しい定型句を口々にし、親族たちは帰っていった。
葬式とか法事とか、死んだ者のためにやるものではない。残された者たちが、気持ちの整理をするための、一つの区切りである。
こうして少しずつ、死んだ者は過去の人となっていく。
時間は決して巻き戻らない。死んだ者が生き返ることもない。
その代わり、若いやつが新しい命を生み出していけばいいのだ。
締めのあいさつで、18歳の甥っ子に宿題を出した「来年までに彼女作って結婚しろ。そして子供を作れ」と。
いくらなんでも無茶である。しかし、法事以外で親戚一同が集まるとすれば、結婚式くらいしかないだろう。
というわけで「早くまたみんなで集まる機会を作りたい。だからお前が結婚しろ」と命じたのだ。
ご祝儀貧乏?喜んで。
結婚式といえば、特に女性の方々は着ていく衣装に頭を悩ませるのではないでしょうか。そこでこれなんかどうでしょう。
披露宴で、そして二次会で、各種パーティーで、周囲の女性がかすむほどの素敵な花になってください。