生きるって厳しい

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【糖尿病】食っても食っても

このお話は「ナチュラルハイ」の続編です。

  

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 事件以来、医者に行くのもやめてしまった。不摂生な生活に戻ってしまったので、行っても良い知らせは聞けないからだ。

実際、みるみる太っていった。ズボンはパンパンになり、座っているときはボタンをはずさなければ苦しいほどに。

周囲からも心配されるほどの進行の早さだったのだが、それも2年ほどで止まってしまった。

別にまた健康的な生活に戻したわけではない。相変わらず暴飲暴食を続けていたのだが、いつの間にかズボンのボタンをはずさなくても苦しくなくなり、そのうちに、むしろ緩くなってきていた。

今思えば、何も変わっていないのに体重だけがみるみる減っていくなんて、どう考えても深刻な状況ではないか。どうして何も考えなかったんだろう。

 

痩せたからというわけではないが、当時付き合っていた女性と結婚することになった。

自分の体すら大して気にかけないのだから、相手の女性の素性とか性格とかも、あまり考えず、ただおもしれえおんなくらいのノリで結婚してしまった。

新婚早々、二人の関係は冷え切った。それでも1年目で子供ができると雰囲気はまるで変り、結婚以来、たぶん初めて家族の幸せな未来を夢見るようになっていた。

ただ、一つ大きな問題があった。俺の息子、生まれつきの病気を抱えていたのだ。VUR(膀胱尿管逆流症)という、簡単に言えばおしっこがうまく排出できないため、膀胱が膨れ上がって尿が腎臓へ逆流し、炎症を起こす病気である。

まもなく手術になった。1歳の子供が、延べ8時間にわたる外科手術に挑むのである。

できることなら代わってやりたい、親ならだれでもそう思うのではないだろうか。しかし、それはかなわない。ただ、祈るしかないのだ。

幸い、手術は成功し、息子はみるみる元気になっていった。

元気になる息子と反比例するかのように、俺の体重は減っていった。

 

子供が2歳のころ、なんと専任の口が見つかった。もう完全にあきらめていたのだが、ちょうど団塊の世代が一気に退職する時期になり、それまでほとんどなかった学校求人が一気に増えたのである。

このときすでに30代後半。まさに最後のチャンスをしっかりつかみ取ったのだ。

 

4月、期待と不安を胸に秘め、緊張しながら出勤する。新1年生の担任に任命された。そして部活の顧問は、本気で全国大会を目指す女子バレー部を命じられた。俺はスポーツが、特に球技がからっきし苦手である。バレーなんか、まともにルールすら知らない。しかし仕事である。断るわけにはいかなかった・・・いや本当は断ったのだが、「大丈夫だから」と教頭ににっこり微笑まれ、それで流されてしまった。

どうせやるなら命がけとばかり、授業に公務分掌に、そして子育てにと、がむしゃらに働いた。

夢にまで見た専任。どんなに疲れても、楽しくて仕方なかった。

そしてますます、体重は減っていった。

 

夏休み、ほとんど毎日部活指導(むしろ俺のほうが子供たちに指導されているのだが)。せっかくの夏休みなのに、家族と過ごす時間がなかなか取れない。

それでも、部活のほうは長年指導をしてきたベテランの体育教師がメインで指導しているので、俺はただのお手伝いさん程度の役割しかなかったのだが。

初めての夏休み出勤。初めての強化合宿。すべてが新鮮で、疲れ切っている体がうれしかった。

 

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そして、あっという間に9月を迎えた。

部活が終わって職員室で一息入れていると、携帯が鳴り響く。

部長のお母さまだった。

  

この話は次回に続く。

 

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