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【糖尿病】 「クビ」へのカウントダウンがはじまる

このお話は「今思えば、よく倒れなかったなと」の続編です。

 

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毎度ながら、校長室のドアをノックするのは気が滅入る。

校長から良い話をされたことは、とりあえずない。

入るや否や「いつもご苦労様です。早速ですが、バレー部の部活動、平日は1日にしませんか。いやね、正直、強化部といっても全然結果出してないでしょう。今までは優先的に体育館使っていただいてたんですが、A先生も連絡取れないし、他の部活からも体育館を使わせてほしいと要望があるんですよ。もちろん、土日は自由に使ってもらって結構ですから。」

確かに、強化部ということで優先的に使わせてもらていた。そしてA先生はかなりの大御所だったので、他の先生はまるっきり頭が上がらない状態だった。

そんなA先生が疾走したことで、これまでたまっていた他の先生方の不満も校長にぶつけられたのだろう。

しかし、いきなり週6日間やっていた練習を平日1日だけにするなんて、子供たちだけでなくご父兄が許すはずないじゃないか。

しかも「土日は自由に」っておっしゃるが、つまり俺の休みは今後もなくなるということか。

そう思った瞬間、が目の前を横切った気がした。「そ、それはたぶん保護者様が許さないでしょうし、子供たちも納得いかないでしょう。無理です。」

「そうですか、無理ですか。わかりました。しかしこれからは、他の部活と同じ時間だけの練習にしてください。もう結構です。おかえりください。」そう一方的にイライラした口調で言い浴びせられ、ほとんど追い出される形で校長室を後にした。

 

どうしよう、完全に怒らせてしまった。

とはいえ、もう優先的に体育館を使えない。このことはすぐに部員に伝えなければならない。

まずは青年コーチに事の次第を伝えて驚かれた後、部長とマネージャーを呼びつけた。そして練習前に部員全員を集めさせ、みんなの前で事の次第を告げた。もちろん「ほんとは平日の練習は1日だけって言われたんだけどね」なんて口が裂けても言えない。

驚きの「えええ」のあとはみな怒りの表情。しかたない、これが学校の方針だからと納得してもらうしかないのだ。

なんとかなだめすかし、今は練習に集中してくれとお願いした。

 

当然ながら、その後の練習もまるっきり身が入らないものだった。

とはいえ、そのほかにも仕事は山のようにある。部活指導は青年コーチに任せ、自分は職員室に戻って仕事をこなした。

 

21時半を過ぎて帰路に就く。

ちょうど家に着いた頃、携帯が鳴った。再び部長のお母さまである。「娘から聞きました。部活の時間を減らされたそうですね。いったいどういうことでしょうか。うちの娘はA先生から『バレー特待で入れてやるから。バレーのことだけ考えてくれてたら成績なんかはどうにでもできるから。』そう言われたから入学を決めたんです。それがどうして練習できなくなるんでしょうか。」

感情的にまくしたてられ、「落ち着いてください」の言葉すら、また怒りの炎に油を注ぎそうで発する勇気が出ず「おっしゃることはごもっともですし、本当に申し訳ないと思っております。」と謝ることしかできなかった。

「とにかく明日、バレー部の父兄に集まるよう伝えます。具体的なお話を直接お聞かせください。」そう言って一方的に電話を切られた。

 

不思議なもので、電話を切られた瞬間から胃のあたりがきりきりと痛み出した。

体ってこんなに正直なものなのか。

初めて心から思った「明日行きたくないと。

 

異変を敏感に感じたのだろう、3歳になろうとする息子が「父ちゃん」と寂しそうに抱き着いてきた。

「明日行きたくない?」馬鹿を言うな、息子を前に恥ずかしい真似などできるか、死んでも負けねえ。

愛とは偉大なものである。この子のためなら、たぶん自分の命なんか簡単に捨てられるだろう。とても大きな力を得た気がした。

 

校長は逃げた。

翌日の放課後、もう20時を過ぎたころに部員のご父兄たちが、皆眉間にしわを寄せながら集結した。

校長は「わたしは責任とれません。教頭が受け持ってください。」そう言って父兄の前には一瞬たりとも姿を現さなかった。

教頭は、これまで影に日向に俺を支援してくれていた。誰が見たってオーバーワークなのに誰も助けてはくれない。手を差し伸べたら、ひょっとしたら校長に目をつけられてしまうかもしれないし、そもそもみんな限界近くまで働いているのだ。こちらから「誰か助けて」とも言い出せるわけないし。

だから結局、俺と青年コーチの二人でなんとかここまでしのいできたのだ。

そんな二人のことを、やさしく微笑みながら、仕事も終わっているだろうに最後まで職員室に残っていてくださった。

それだけでも、俺にとってはかけがえのない支援者だったのだ。

その教頭が、今、父兄たちの矢面に立ち、その怒りを一身に受けていた。

 

もうあまりに時間がたってしまったので、どんな攻撃を受け、それを教頭がどうしのいだか覚えていない。

俺はただ、どちらの意見にも頷くらいしかしていなかったと思う。

 

2時間ほど続いた会議。やっとご父兄方は怒りの矛を収め「今後ともよろしくお願いします」と悲しそうに頭を下げながら帰っていった。

とりあえず冬休みを迎える。だから、とりあえず今まで通りたくさん練習もできる。しかし、他の部活が終わった後、夕方17時以降に限定された。帰りが遅いのは結局同じか。

 

年が明け、3学期が始まった。

その頃、また新たな体の異変に気付いた。

 

この話は次回に続く。

  

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